著者は、安部譲二氏、刑務所の中の話だ。
仲間意識が強くなると、
外界との塀が高くなるのも同じに思える。
脱原発は市民運動であり国民運動であるべきだと思うが、
主導者を名乗る者が現れ組織化をすると歪み出す。
そういう人物は人の意見すら聞かずに、
仲間を募り場所をわきまえずに大声を連呼し続ける。
首都圏の国会前は、
人の生活圏ではないので問題はない。
あの場ならではの抗議方法だと想う。
私は、東京のある場所で、
マイクを持たせてもらった事があるが、
主催者側から激しくと怒鳴れと恫喝された事がある。
あれじゃ一般市民は離れていくと早々に感じた。
二度とその場所には立つつもりはない。
選挙の度に脱原発の運動は萎んでいくが、
毎回の事だから不思議ではない。
どうやら、今回の都知事選でも割れているらしい。
脱原発という運動を政治が利用しだしたり、
運動が政治家を利用するからだろう。
一般の無党派有権者は嫌気がさして離れていく。
残った強者は主義主張に傾向化していき
ギスギスしながら内ゲバに進む。
神奈川支部から浅間山荘に向かった事件もそれだ。
若者は怖さを知らない。
主義主張が駄目ではないが、
一般民の参加弊害になっているのは間違いなさそうだ。
私は薬害被害者として薬害根絶の運動に参加しているが、
薬害の運動では、各政党にお願いにあがる。
対立の構図なんて意味はない。
ところが、脱原発の運動では反与党の主張が目立つ。
無理もないが、それでは解決に向かわないと思える。
関係のない主張も意味不明だが
調子に乗る類がいるから狭いエリアでは盛り上がる。
塀の中と同じに写る。
ますます孤立していく。
主義主張を弱めて、
塀の高さを低くする方が得策だろう。
ただ、悪くなればなるほどに、
良くしようとする力も台頭してくるので心配しなくても良い。
パラダイムの事だ。
今回の都知事選の当選者である舛添氏は脱原発派からは
支持をされてないように思っているが、
この機会に脱被曝派は、東京から離れたら如何なものだろう。
脱原発は脱被曝とも言っていたのも記憶している・・・
我家の長女は、東京に住んでいたが一昨年末に
愛知県に戻させた。
時間はかかったが、
最後には命令という言葉も使った。
私は日本で闘いたいという執着心で日本に残留するが、
成人した子供達には海外避難のルートは残してある。
ただ、子供は親の所有物ではないので、
自由意志の判断に委ねる。
さて、
脱原発の運動では、
各政党員に囲まれながら一人で行動してる。
拳を差し出しても露骨に嫌がる人もいる。
挨拶も出来ないのかと心が痛む。
だが、気にしていては闘えない!
組織で割れるのなら
初めから、最期まで、個人の群れであれば良い。
個人なら引っ張られる事もないから、
無理な登山で雪山で遭難もしないだろう。
ただ、人の顔色を気にして決断が出来ないと、
共倒れして家族を悲しませる事になってしまう。
個は己の自立にも繋がる。
組織よりも自由な個で、
のびのび生きたいのだ(^○^)
みんな負けんな(^-^)/
原発⇨自然エネルギー
上から目線で、
どうも、すみませぇん(^○^)
