右足を切断した日 | 義足のオートバイ乗り ルーちゃん

義足のオートバイ乗り ルーちゃん

自然エネルギー・社会問題・フレンチブルドッグが好きです。



薬害肝炎名古屋の副代表です。
薬害根絶に闘っていますが
無党派です。

86年11月9日、オートバイの事故で右足は千切れた。



重たい話ですみません。



右手は骨が飛び出し、十二指腸は破裂していた。



一ヶ月間、水すら許可されなかった。



お腹には縦に30センチの手術痕

チューブの出ていた穴は7ヶ所。



それでも、元気に生きている。



トラウマってあるよね。



トンネルの中の入ってすぐの急カーブ、

明暗順で一瞬視力を失った。



はっと気がついた時には、

観光バスが目に入った。



急ブレーキでバスの前に出てしまった。

私が100%悪い。



自業自得の事故なんです。



8年間、オートバイに乗らなかった。



29歳の時、今も付き合いのある仲間が、

恰好つけてないで、原付から乗りなよと言ってくれた。


HONDAのDJ50を貸してくれた。



私が事故直後に30歳までに復活すると宣言していた言葉を

記憶してくれていたのだ。



ありがたい仲間だ!



仲間というのは、

相互評価できる関係でありたい。



反対意見をしたぐらいで、

関係は崩れはしない。



ケツの穴をみせても

恥ずかしくない関係とも仲間うちでは云う。





年とかも関係はない!



因みに復活の引導を渡してくれたのは、

3つ年下だ!



人生だからお互い泣き笑いはある。



良い所も悪い所も含めて仲間なんやて!!



さて、トラウマの話に戻す。



今でも、トンネルの中は怖いが、

オートバイで風になれている。



初めは原付だった。

次第に排気量を上げていった。



まだ、消えたくなかったのかも知れないが、

彼の一言がなければ、

今もオートバイに乗れてないだろう。



人は忘れて欲しくないという想いから、

声を出し始めると思う事がある。



戦争体験などがそうだ。



語り出す事で少しづつトラウマが薄らぐ。



母親が他界して3年近く心彷徨ったが、

先月で七回忌を迎えた。



毎日、祈りをするようになった。



今では、夢で両親とも会話をする。



う~ん、

何となく伝わるかなぁ。



生きていれば目の前にハードルは常に現れます。

ただ、乗り越えれないハードルは自分の前には現れない。



時間がかかっても問題ない。

不格好でも恥ずかしくない。



諦めずに、

自分の心に正直に、一歩一歩、突き進む。


そこしかないって、トラウマからの脱出。

と、想う。


義足のオートバイ乗り  ルーちゃん
まだ、足あるやろ(笑)