11月7日と思っていたら、9日でしたww
以下訂正。
22才の時に書いた手紙で確認できました。
『22才の手紙(現在48才) 人は中々変わらない者です』 http://amba.to/YPqLJH
私にとって人生のスタート台に立った日。
1987年11月7日に、
長野県、安曇野の山の中でオートバイの事故をした。
古いバイク仲間のシゲとヤッシの3人でツーリングに出かけた。
数日前に愛車のRZ250は、エンジンを焼き付かせてしまっていた。
シゲは言ってくれた。
僕のRZ250Rを貸すよ・・・
私のバイクの後続モデルで性能が高い。
ブレークも後輪はドラムブレーキから、ディスクブレーキに改善されていた。
快適に走る・・・
前日は今でも毎年7月に仲間が集う茅野市の山小屋に一泊した。
談話室でご主人も交え、ワインを飲みながら語ったもんだ。
翌日は上高地に向かう途中に絶景な露天風呂があるという話で向かう事にした。
天気は良い!
空気は秋の風を感じ!
山も色合いも心に染みる。
いつもは、かっ飛ばすのだが、のんびり走っていた。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=Tl
左側には湖、その先にトンネル、そしてカーブ・・・
明暗で一瞬、視界を失った!
急に視界に入ったのは大型観光バス。
ビックリして、急ブレーキをかけた。
いつもと違う高性能のブレーキ、
後輪はロックしバスの先方に飛び出してしまった。
100%私が悪い!
バスは急ブレーキをかけ、
前輪で私の右足を引き潰し後輪の1m手前で停止してくれた。
命拾いした。
仲間は私がついてこないのに気がつき引き返してくれた。
バスの下から引きずり出すとジーンズがペタンとしていた。
その先には、アルパインスターのライディングブーツが・・・
飾り付けのステンレスは平らになり、中に足が入っていた。
「ルーちゃん、死んじまう」と 泣き出すシゲ・・・
「病院に運ぼうと」と シゲを一喝するヤッシ
バスの乗客からバスタオルが渡され足は止血された。
救急車の手配は、バスの運転手さん無線でして下さった。
たまたま、通りかかったご夫婦が、自分の息子もオートバイに乗るので
他人事ではないと、私を乗せて山を下ってくれた。
私は麓から上る救急車を遮る形で止めリレーされた。
波多町立病院へ搬送。
慈恵医大からの先生が運よくおみえになった。
私は医師から足の切断の説明を受けた。
「足の損傷が激しいので切断した方が良い!」
私の決断は早かった。
それは、オートバイで右腕を肩口から
切断するも元気な人を知っていたからだ。
「切断して下さい。一つお願いがあります。最後の足にお礼をさせて下さい」
私は、自分の足にお礼の意味のキスをした。
そして、麻酔で眠っていった。
ICU(集中治療室で目が覚めた)右足は既に膝下10センチから無い。
鼻からはチューブが通され、
喉にそれが当たり、話すのもにも異物感を感じる。
右手は骨が飛び出していたので、外傷が収まるまで手術は出来ない。
親指付け根から、小指に向けて串刺しがされ上から引っ張られた状態。
母親の顔が見えた。
「ゴメンなさい」
愛知県からタクシーを飛ばして、長野県まで来てくれていた。
母親に伝えなければならないことがある。
「一緒に住んでいる子がいる。今、妊娠している。結婚させて下さい」
今、思うとなんと強引な男!
次の給料が入ったら、中絶しようと相談していた。
そう、私の失くした右足の変わりが長女なんです。
事故をしてなければ、長女は生まれていない。
その日の内には、何人ものバイク仲間が顔を見せてくれた。
足を失った涙は流した事がない。
二度とバイクに乗れないという気持ちで、仲間の顔を見ると頬は濡れた。
面会は短い時間、面会が済むと眠りにつく・・・
腹が痛い!
鼻のチューブが気になる。
自分で引っこ抜いた。
先生が飛んできて、
「死ぬ気か!!」 と怒鳴られた。
鼻の周りは、頑丈にテープだらけになったwww
腹が痛い!
先生、曰く、
超音波で確認をしましょう。
調音派で検査するが、よく判らないようだ。
先生にお願いをした。
「腹を切って下さい。
何もなければ閉じてくれれば良いのでお願いします」
十二指腸は破裂していた。
他の腸との癒着も始まっていたようで賢明な判断に救われた。
死ぬところだった。
もう腹はいたくない・・・が、腹には7本のチューブが刺された。
これから、一か月間、飲食禁止、
肩の静脈からは、カテーテルがされ栄養はそれで補っていた。
事故から2週間、右手の外傷も治り手術に入ります。
腱が一本、委縮して使い物にならなかったので腱移行しています。
通常は親指の腱は手首、表面で連結して動かしますが、
私は手首の内側に繋げてあります。
青ペンが手術痕です。
右手でピースは出来ませんが、日常生活では問題はありません。
高橋先生、ありがとうございます。
手を上げたままの姿勢も大変ですが、
日に日に良くなっていくのが嬉しいところです。
お腹に刺さったチューブも徐々に取り除かれていきます。
水は、口の渇きを潤すだけで吐き出します。
飲んでしまうと、チューブから袋に移されてる
濃い緑色の胆嚢液が薄まってしまうので、
バレてしまいます。
というか、後半に連続の口濯ぎしただけでバレました。
一か月半を過ぎ、白湯から飲んでよいという許可が出た時は、
喉を通る水が如何においしい事か!!
「うまい・・・」
それ以外の言葉は出ません。
1週間ごとに、お腹のチューブは1本づつ取り除かれていき、
流動食からの食事の開始です。
マジで、泣けますよ・・・
12月27日に地元、愛知県安城市の厚生病院に転院が決定し、
オートバイ仲間の運転するライトバンの荷台に布団を敷かれ、
揺られながらも、生きている喜びを感じた事を思い出します。
雪の日だった。
みんな、ありがとう。
波多病院の皆様、仲間のみんな、それに、家族、
すべてに感謝しています。
おまけは、私の右足の生骨!(脛骨)
全部、下さいとお願いしたのですが無理でした。
ホルマリンに浸けにしてあったのですが、
骨の髄は洗い流しました。無臭です。
どこで、野垂れ死にしても納骨はできまーす。
転院後は、また、今度!!





