わたくし、らふぁの宗教観と軽いジレンマ | 明日への次の一手

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独自の方法で星占いを参照して、あなただけの一歩先を照らします。

社会のシステムはピラミッド型の直線的な道のようです。
その上を歩く生身の人間は自然の産物で曲線的な動きをします。
社会のシステムに合わせて仕事や鍛錬を真っ直ぐ進むと、生身の体や心に支障をきたします。
逆に、自然の曲線のままに動けば、直線の社会のシステムから離れてしまうでしょう。
趣味でストレスを発散するか、アルコールなどで酔わせて、ごまかしながら進むのも手ですが、それなりの副作用も気がかりです。
できれば穏やかに・・それでいて成果が上がれば申し分なしです。

こんなふうにとらえました。
直線は数字の10進法で、曲線は音階の7進法に表されるんじゃないだろうか?と。
ファとシの半音が自然から発生し自然の曲線を表現していると考えると便利な点があります。
曲線を直線に添わせるとき、半音のファとシのタイミングで自分以外の外側の力をプラスすると良い。
逆に、直線を曲線に戻すとき、半音のファとシのタイミングで外側の力をそぎ落とすと元に戻れます。
外側の力はなんだっていい。
先達のアドバイスだったり、仲間が背中を押したり、読書のヒラメキだったり、お金や権力のサポートだったりします。
次はタイミングですが、周囲の状況をつかむ直観力が主になります。
これがなかなか難しい。
その補助的な役割を受けもとうとしているのが「意識の地図」になります。
手前味噌ですが、今まで書いたように「意識の地図」は的確な気づきを与えてくれました。
私自身と数人のメール返信による実証だけですが、出来ないと諦めていた思い込みを、いくつか打破してこれたのも事実です。
大いなる力ですが、だからといって頼りすぎてもダメだと心がけています。

依存はその部分を弱めます。
この場合は直観力が鈍くなりそう。
片足を怪我して松葉杖をしたら3~4日で足の筋肉が落ちるのと同じ理屈。
ですから「意識の地図」も依存して欲しくあありません。
だから「意識の地図」の普及に積極的活動はしません。
必要な時に膨大なネットの海の中の点にしかないこの「意識の地図」に出会ってもらえたら、それこそ最良のタイミングだと感じています。
役に立つから多くの人に知ってもらいたい気持ちと相反して依存して欲しくない軽いジレンマ、わたくし、らふぁってメンドクサイやつでしょ?!

究極の自然は何もしないこと!
本来、人は完璧であり、それを遮っているのは何かをしようとすること。
ここまで考えるともう、宗教の世界です。
自然という山が『宗』であり、頂上には『無』、先達が切り開いた登山道が『宗教』と勝手に理解しています。
命令されるのが肌に合わないわたくし、らふぁは登山道を登るのが苦手です。
麓あたりでうろついてでも、手探りで道を切り開きながら登るのが好きです。
これがわたくし、らふぁの宗教観であり、「意識の地図」の目的になっています。