アメリカに来て2ヶ月半ほどたちました。
私の日常生活は至ってシンプル。
起きて、ご飯食べて、エクササイズをして、ジョギングをして、
料理を作り、洗濯、掃除・・・。
それに加えて、お仕事のある日はボーカルレッスンをし、
ショッピングに出かけ・・・
一般の主婦、というのと同じなんだけど
何が違うかというと、ここがアメリカだということ。
はい、そんなん、わかって引っ越したんですよ。だけど。
今までアメリカには観光ビザで、何度も来ましたよ。
ぎりぎり3ヶ月いたこともある。
だけど、「日本の家に帰る」のと「アメリカの家に帰る」っていうのは
やっぱり違う訳ですよ。
英語が話せるから大丈夫でしょ、よくそう言われるけれど
英語が少し話せるからって、
アメリカの生活、何もかも理解出来る訳じゃない。
やはり、大変です。
先日、義理のお姉ちゃんの息子の、表彰式に行って来ました。
だいたい、そういうのには行かないんだけど
この日はなんだか行った方がいい気がして(日本人的な感覚ですかね)
でも、やはり行かなければよかったんです。
もちろん甥っ子が表彰されることは、とっても嬉しくて、誇らしいこと。
身内ですからね。
だけど、次から次に人が入れ替わり、立ち代わり、
話をした後に、何人かの子供達が表彰される。
挙げ句の果てには、先生らしき人ではなく、
卒業生らしき人たち、そしてなんとアメリカのマリーンなどの制服を着た人までが
前のステージに上がり、話をし、また生徒達が呼ばれる。
その度に拍手、拍手の繰り返し。
時たま、お金の金額が読まれ、なんとそれはお金が生徒に渡されるらしく。
いったい、いつまで続くのか、そして今話をしている人は誰なのか、
どういうつながりがあるのか、お金はどこから来るのか、
そのお金はなぜ払われるのか、
この表彰はいったいなんなのか・・・
なにもかもわからず、果てしなく続くように思えたこの式典・・・
言えば、私には、
「意味のない、気持ちのこもらない拍手をしなければならない時間」
なだけでありました。
結局、この式典は2時間半。
いったんスイッチが切れると、英語なんてただの英語でしかなく
頭がシャットダウンし、全く理解が出来なくなります。
私は逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。
この間も拍手は続き・・・
拍手をすることがめんどくさい、というよりも
拍手をしないと、「失礼な人だなあ」と思われるんじゃないか、とかいう
プライドもあり・・・
正直、つらかったです。
でもそれだけではなかった。
式典が終わった後も、私の惨めな時間は続きました。
どう見ても、私はアジア人、誰も知らない日本人。
アフリカンファミリーの中で、私がいることは、
他の誰から見ても不思議な光景なんでしょうね。
学校に通っている生徒さん、先生達、みんなは声を掛け合ってますが、
私に目を留めてくれる人はいません。
私は、「ただの人」でした。
いてもいなくても、何も変わらない。
私だけ、ぽつんと1人、ただそこにいただけでした。
とてもとてもつらかったです。
日本で、結婚してダンナさんの所に嫁いで、
また、ダンナさんの転勤で、
見知らぬ土地で生活を始めても、もちろん大変だと思う。
でも、銀行も、郵便局も、大体同じだし
学校のシステムも同じ。
いつ学校が始まって、いつ終わって。
いつ、どんなテストがあって、いつ、どんな授業があって、
いつ、どんな卒業式があって・・・
それが全て違うんですもの、理解出来る訳がない。
ジミーがいない時は、こういう行事はいかないことに決めました。
「日本人的な気の使い方」はやめることにしました。
でないと、自分をなんだかとても情けなく思えてしまって
ストレスでいっぱいになるから。
やはり、生活に慣れることは大変な労力のいることなんだと実感。
頑張って、慣れて行かなきゃな。
まだまだ時間がかかりそうです。
私の日常生活は至ってシンプル。
起きて、ご飯食べて、エクササイズをして、ジョギングをして、
料理を作り、洗濯、掃除・・・。
それに加えて、お仕事のある日はボーカルレッスンをし、
ショッピングに出かけ・・・
一般の主婦、というのと同じなんだけど
何が違うかというと、ここがアメリカだということ。
はい、そんなん、わかって引っ越したんですよ。だけど。
今までアメリカには観光ビザで、何度も来ましたよ。
ぎりぎり3ヶ月いたこともある。
だけど、「日本の家に帰る」のと「アメリカの家に帰る」っていうのは
やっぱり違う訳ですよ。
英語が話せるから大丈夫でしょ、よくそう言われるけれど
英語が少し話せるからって、
アメリカの生活、何もかも理解出来る訳じゃない。
やはり、大変です。
先日、義理のお姉ちゃんの息子の、表彰式に行って来ました。
だいたい、そういうのには行かないんだけど
この日はなんだか行った方がいい気がして(日本人的な感覚ですかね)
でも、やはり行かなければよかったんです。
もちろん甥っ子が表彰されることは、とっても嬉しくて、誇らしいこと。
身内ですからね。
だけど、次から次に人が入れ替わり、立ち代わり、
話をした後に、何人かの子供達が表彰される。
挙げ句の果てには、先生らしき人ではなく、
卒業生らしき人たち、そしてなんとアメリカのマリーンなどの制服を着た人までが
前のステージに上がり、話をし、また生徒達が呼ばれる。
その度に拍手、拍手の繰り返し。
時たま、お金の金額が読まれ、なんとそれはお金が生徒に渡されるらしく。
いったい、いつまで続くのか、そして今話をしている人は誰なのか、
どういうつながりがあるのか、お金はどこから来るのか、
そのお金はなぜ払われるのか、
この表彰はいったいなんなのか・・・
なにもかもわからず、果てしなく続くように思えたこの式典・・・
言えば、私には、
「意味のない、気持ちのこもらない拍手をしなければならない時間」
なだけでありました。
結局、この式典は2時間半。
いったんスイッチが切れると、英語なんてただの英語でしかなく
頭がシャットダウンし、全く理解が出来なくなります。
私は逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。
この間も拍手は続き・・・
拍手をすることがめんどくさい、というよりも
拍手をしないと、「失礼な人だなあ」と思われるんじゃないか、とかいう
プライドもあり・・・
正直、つらかったです。
でもそれだけではなかった。
式典が終わった後も、私の惨めな時間は続きました。
どう見ても、私はアジア人、誰も知らない日本人。
アフリカンファミリーの中で、私がいることは、
他の誰から見ても不思議な光景なんでしょうね。
学校に通っている生徒さん、先生達、みんなは声を掛け合ってますが、
私に目を留めてくれる人はいません。
私は、「ただの人」でした。
いてもいなくても、何も変わらない。
私だけ、ぽつんと1人、ただそこにいただけでした。
とてもとてもつらかったです。
日本で、結婚してダンナさんの所に嫁いで、
また、ダンナさんの転勤で、
見知らぬ土地で生活を始めても、もちろん大変だと思う。
でも、銀行も、郵便局も、大体同じだし
学校のシステムも同じ。
いつ学校が始まって、いつ終わって。
いつ、どんなテストがあって、いつ、どんな授業があって、
いつ、どんな卒業式があって・・・
それが全て違うんですもの、理解出来る訳がない。
ジミーがいない時は、こういう行事はいかないことに決めました。
「日本人的な気の使い方」はやめることにしました。
でないと、自分をなんだかとても情けなく思えてしまって
ストレスでいっぱいになるから。
やはり、生活に慣れることは大変な労力のいることなんだと実感。
頑張って、慣れて行かなきゃな。
まだまだ時間がかかりそうです。