元気がありません。特にこれといった原因はなくて、季節の変わり目とかに体調が悪くなるとかそういう感じ。ある意味「うつ」だ!と思った私は心療内科の先生に「元気ないんです」と訴えたのだけれど「疲れてるだけ」のひと言で片付けられてしまいました。先生は2週間に1度お会いしてるのでいつものことだとわかっていらっしゃる。さすがおぼっちゃまくん!お見それしました。も少し落ち込んだらきっと元気も回復することでしょう。たぶん。
元気がないときに思い出すのはもうずっと前につきあっていたひとのこと。彼は私の初めてのメルトモでございました。それが、なにがなにやらでご飯を食べにいくようになりお泊まりするようになりと流れていったのでございます。歳も離れていたし、その頃は遠くに住んでいたのでそんな関係になるとは予想してませんでした。ただ、なんでも話せる歳の離れた親友でした。残念ながらいわゆる不倫だったのと、彼が多忙だったため、私たちは旅行どころか映画さえ一緒に観にいったことはありませんでした。デートといえば、彼の仕事が早く終わった日に食事して私の部屋にお泊まりして早朝に帰宅していくというパターン。好きになればなるほど、同じくらい哀しみも増えていく日々でした。彼が家族に言えないことや悩みを話してくれるとき、こんな小さな存在の私でも居場所を見つけられたような気持ちになってとても嬉しかった。ある日彼はいなくなりました。電話が怖いって言って。私たちには共通の友達なんていないし、家にいけば彼の家族がいます。矛盾していますが、私は彼と同じくらい彼が大事にしてる家族を大事にしなきゃいけないと思っていました。だから私にできることは独りで泣き続けることだけでした。数年後、私はある手術を受けることになり、少し心細くなったのもあって彼にメールを書きました。彼は私にとってある意味家族だったのです。いなくなったあとも、他の誰かとおつきあいしていても、私の心から彼はいなくなりませんでした。いつも心の中で話かけていました。彼から返事がありました。そして私たちは再び同じことを繰り返しました。彼が家に帰っていく後ろ姿はいつも私を振り返りはしなかった。それが淋しかったのを覚えています。ひとつだけ違ったのは、会える日にはこれが最後でも後悔しないと思うようになったことです。彼はもうそんなことはしないと言いました。もし彼がまたいなくなってしまったら、私は生きていく自信がなかったのです。だからいつも別れの準備をしていたように思います。恐れていた通り、彼はまたいなくなりました。予想していたことですが、彼は「うつ」を患っていました。連絡がとれなくなる少し前から言動がおかしなことがありました。最後に彼と会ったのは彼の誕生日。クリスマスは会えないんだよねと私が拗ねると彼はプレゼント持って会いにくるよと笑っていました。その頃私も心が壊れかけていました。全く連絡がとれなくなり私は自分を失っていました。しばらく経って連絡がとれたのは、思いあまって彼の会社に電話したときです。いつもはおおらかな彼でしたが彼には全く余裕がありませんでした。私は電話口で怒鳴られました。その後彼は療養を兼ねて北海道に異動になり、大和の研究所勤務となりました。辛抱強くメールを送る日々が何年か続きました。たまに短い返事が返ってくるけれど、そこに愛などありませんでした。私はどうにも自分がみじめになり、彼を断ち切る決心をして、一方的にどうしても言えなかったさよならを言いました。もっともとっくの昔に終わっていたのはわかっていました。今はどうしているのか、わかりません。おつきあいしていた当時の彼は、インターネットで名前を検索するといつくかのサイトがヒットするようなひとでした。だけど今ヒットするのはつきあっていた当時の記事くらいです。彼が出世コースをはずれてしまったことだけは確かなようです。
私はいまでも彼が大好きです。たぶん一生大好きなままです。他のひとを好きになってもそのひとは彼を越えることはできません。当時もいまも、彼を「好き」ということばの意味合いに恋愛の要素以外のものが含まれていて、それは私という存在の根本にかかわるものであるがゆえ、なのです。そういえば、私たちはお互いを「愛してる」ということばは一度も使いませんでした。彼がほんとうは私のことをどんなふうに思っていたのかはわかりません。だけど彼は唯一私が自分でいられて安心できる場所でした。もちろん憎んでいることだってあります。それでも私は彼を赦しています。もうお会いすることはないだろうし、そんな機会があることを期待もし恐れてもいます。ただ、いつの日か、彼の笑顔が見られたらいいなと漠然と思うのです。あなたに会えてよかった、ありがとうって言いたいのです。お互いの存在を知ってから今年でもう10年も経つのですね。
元気がないときに思い出すのはもうずっと前につきあっていたひとのこと。彼は私の初めてのメルトモでございました。それが、なにがなにやらでご飯を食べにいくようになりお泊まりするようになりと流れていったのでございます。歳も離れていたし、その頃は遠くに住んでいたのでそんな関係になるとは予想してませんでした。ただ、なんでも話せる歳の離れた親友でした。残念ながらいわゆる不倫だったのと、彼が多忙だったため、私たちは旅行どころか映画さえ一緒に観にいったことはありませんでした。デートといえば、彼の仕事が早く終わった日に食事して私の部屋にお泊まりして早朝に帰宅していくというパターン。好きになればなるほど、同じくらい哀しみも増えていく日々でした。彼が家族に言えないことや悩みを話してくれるとき、こんな小さな存在の私でも居場所を見つけられたような気持ちになってとても嬉しかった。ある日彼はいなくなりました。電話が怖いって言って。私たちには共通の友達なんていないし、家にいけば彼の家族がいます。矛盾していますが、私は彼と同じくらい彼が大事にしてる家族を大事にしなきゃいけないと思っていました。だから私にできることは独りで泣き続けることだけでした。数年後、私はある手術を受けることになり、少し心細くなったのもあって彼にメールを書きました。彼は私にとってある意味家族だったのです。いなくなったあとも、他の誰かとおつきあいしていても、私の心から彼はいなくなりませんでした。いつも心の中で話かけていました。彼から返事がありました。そして私たちは再び同じことを繰り返しました。彼が家に帰っていく後ろ姿はいつも私を振り返りはしなかった。それが淋しかったのを覚えています。ひとつだけ違ったのは、会える日にはこれが最後でも後悔しないと思うようになったことです。彼はもうそんなことはしないと言いました。もし彼がまたいなくなってしまったら、私は生きていく自信がなかったのです。だからいつも別れの準備をしていたように思います。恐れていた通り、彼はまたいなくなりました。予想していたことですが、彼は「うつ」を患っていました。連絡がとれなくなる少し前から言動がおかしなことがありました。最後に彼と会ったのは彼の誕生日。クリスマスは会えないんだよねと私が拗ねると彼はプレゼント持って会いにくるよと笑っていました。その頃私も心が壊れかけていました。全く連絡がとれなくなり私は自分を失っていました。しばらく経って連絡がとれたのは、思いあまって彼の会社に電話したときです。いつもはおおらかな彼でしたが彼には全く余裕がありませんでした。私は電話口で怒鳴られました。その後彼は療養を兼ねて北海道に異動になり、大和の研究所勤務となりました。辛抱強くメールを送る日々が何年か続きました。たまに短い返事が返ってくるけれど、そこに愛などありませんでした。私はどうにも自分がみじめになり、彼を断ち切る決心をして、一方的にどうしても言えなかったさよならを言いました。もっともとっくの昔に終わっていたのはわかっていました。今はどうしているのか、わかりません。おつきあいしていた当時の彼は、インターネットで名前を検索するといつくかのサイトがヒットするようなひとでした。だけど今ヒットするのはつきあっていた当時の記事くらいです。彼が出世コースをはずれてしまったことだけは確かなようです。
私はいまでも彼が大好きです。たぶん一生大好きなままです。他のひとを好きになってもそのひとは彼を越えることはできません。当時もいまも、彼を「好き」ということばの意味合いに恋愛の要素以外のものが含まれていて、それは私という存在の根本にかかわるものであるがゆえ、なのです。そういえば、私たちはお互いを「愛してる」ということばは一度も使いませんでした。彼がほんとうは私のことをどんなふうに思っていたのかはわかりません。だけど彼は唯一私が自分でいられて安心できる場所でした。もちろん憎んでいることだってあります。それでも私は彼を赦しています。もうお会いすることはないだろうし、そんな機会があることを期待もし恐れてもいます。ただ、いつの日か、彼の笑顔が見られたらいいなと漠然と思うのです。あなたに会えてよかった、ありがとうって言いたいのです。お互いの存在を知ってから今年でもう10年も経つのですね。