私は汚い 派!
いやいや、『汚い派』だなんて、別に好きこのんで汚いわけじゃないのです。
誰だって汚いよりきれいな字と言われたいはず。
書字が整わなくて、恥ずかしい思いをしたことのある人や、自分の書いた字が嫌になったことのある人なら、
どうにかして美しい字を書けるようになりたいと1度は思ったことがあるでしょ。
私も子どもの時から字がヘタクソだったのにも関わらず、
小学校の教師になっちゃって、授業中に板書はせなあかんし、通信簿の所見は書かなあかんし、そのたびに恥をかかなあかん・・・というありさまでした。
しかし、教師半ばにして気づくことができたのです。
通級担当になって、人は誰でも大なり小なり能力に偏りがあることを学んでいくうちに、
書字というのが、視覚認知に関わること、目と手の協応性に関わるということを。
つまり、見え方や指先の器用さとに関係あるんやね。
もう一つ付け加えれば、せっかちな性格で、何故か理由もなくいつも急がなあかんと心のどこかでつぶやいてるような性格(簡単に言えば落ち着きのない人)も災いしているのかも。
でもね、むかーしむかーしの先生は、
漢字の書き取り宿題なんかも、「もっと、丁寧に書きなさい」と字のヘタクソさで、
花丸をくれなかったり、叱ったりしてた人もいたでしょ。
整った字形が、そんな、叱られただけで書けるわけないやろ。
「字のきれいさを、精神論で片づけるな!」と今なら言いたくなるわ。
確かに、字形は整って書けるのがいいですよ。
でも苦手な人ができるようになるためには、かなりのトレーニングが必要なんだけどなあ。
PCには、教科書体というフォントがあるでしょ。
あの教科書体を使って、字の色を薄墨色にして、簡単な詩や説明文をPCでうって教材にして、鉛筆でなぞらせたりもしたよ。子供用だけじゃなく、自分用にも作って、少しずつやり始めたこともあったよ。
まるで、小学校低学年の書き方の学習みたいでしょ。
写経じゃないけど、けっこう気持ちも落ち着くよ。
で、成果はどうかって?
う~ん、まだ出てないの。
というよりも、PCが普及したおかげで人目につく文章はPC処理が多くなって、恥をかく機会も減ってきたのよ。
でもね、今でも、自分のメモ書きや、祝儀袋、香典袋に名前を書いたのを見ると、
伸びやかさのないヘタな字・・・って、ちょっと劣等感。
でも、字でその人を判断するような、科学的根拠のない見方はしませんよ。
だって能力にでこぼこがあるのは、あたりまえのことでしょう?