こんばんは。


このブログを始めていろんな方と出会い、様々な想いと向き合わせて頂いています。

幅広い業界の方々に読んでいただけて、心から幸せに思っています。


今日、後輩とやり取りをしていて、思い出したことがあるのでブログに書いていきます。


いつもブログに登場して頂いている、ladyasaの高校時代の体育の先生。

5月の渡米直前にお会いできることになり、どんなことをお話しようかなぁ音譜なんて考えている中で、過去の先生とのやり取りを一つ一つ思い出していました。


高3の12月。ladyasaは精神的に大破壊しました。クラスの周りの子たち(あたしより明らかに成績低い子たちでさえドクロ)が指定校推薦で良い大学にどんどん進学を決めていく・・・旅行のパンフとか運転免許のパンフをクラス中で回し読みされている中、独りで勉強する孤独さ、しかも、大事な模試で最低の成績を取る、スランプ入り、当時若かったladyasaの担任の先生は、既にお手上げ状態、皆があたしのことを腫れものを扱うかのように扱う、誰に対してもキツく当たってしまう、挙句の果てに親友と大喧嘩・・・・・・・散々で食事が摂れなくなりました。


その頃、先生は既に違う学校に移られていて、私の高校にはもういらっしゃいませんでしたが、メールで連絡を取り続けて頂いていました。


自分の精神状態にも限界を感じ、思ったこと・起こってしまったことを全て、先生にメールで伝えました。


頂いた返信の中で、


「このまま受験をするのはあなたの自由。諦めるのも自由。」


と書かれていたことが今でも忘れられません。


どうしてか?

先生に、いっっっっっっつも、


≪逃げるな!!私の知っているアサミは逃げるような子じゃない!!


と怒られていたから。

先生の口から、《諦めるのも自由》なんて言葉が出てきたことに本当に驚いたのです。


当時は何を思ったのか覚えていないのですが・・・今考え直してみると、何かに失敗したり落ち込んだとき、周りがどれだけ説得して励ましても、立ち上がるか、そのまま負けるのか、結果を左右するのはどうしても自分自身でしかないんだと思います。


「諦めるのも自由」

と突き放されたように感じましたが、ちゃんと、温かい言葉でフォローしてくださいました。


《偉いね、頑張ってるの、ちゃんと分かってるよ。ハグしてあげたい。》


《このまま諦めるの、悔しくない?》


「絶対にあきらめないで」とか、「夢は叶う」なんて熱い言葉を言われても、全く心に響かないと思います。どうしようもなく辛いときって。こういう言葉は間違ってはないと思うけれど、結局、「辛い」という感情を次にどう活かすか、若しくは辛いという感情から逃げるか(やりたいことを諦める)、全部自分で決めることなのかと・・・


あくまで私の意見です。


チャンスがあり、本当に望むことなら、やり続けるべき。


二択で迷ったら、積極的な案を選ぶ


そして、

「成功した姿を見てほしい」という人を心に思い浮かべること。


諦めるのも夢をチェンジするもの本当に自由だし、自分で決めて良いことです。でも、これも私の意見ですが、いつも自分自身に言い聞かせていた(いる)ことです。


《このまま終わったら悔しくない?》


そこからの判断は、自分次第です。