著:中村 昇

 

2018年8月15日 第1版第1刷発行

株式会社亜紀書房

堺市立図書館より貸出

 

 

落語の話を哲学の観点から分析する本です。

私は落語には造詣が深くなく、

寄席を見に行ったことも2回しかありません。

本書の考察は知的な刺激に富み、

落語の奥深さと哲学的思考の楽しさを体感しました。

 

非常に面白かったのは「粗忽長屋」の考察です。

「粗忽長屋」の噺には「私」とは何かという

哲学的な問いへの本質が垣間見れると著者は言います。

デカルトやウィトゲンシュタインを引用し、

著者は人は自分である「私」を通してしか

世界を認識できずないが、

その媒体である自分自身を見ることができないため

背景としての「私」=「世界」が成り立つと述べます。

そして他者を通してしか「私」を認識できないため、

自他の補完性が存在します。

しかし「粗忽長屋」のオチにおいては

他者として「私」に出会うことになり

自他の補完性が崩れます。

またこの噺は他者を演じる落語家という

落語の構造の本質をも指摘しているとあります。

 

このように落語の噺を哲学する本書は

哲学の入門書としてもお薦めですし、

落語が好きな方には

落語の魅力がより一層感じられると思います。