『シメール』

服部 まゆみ 著 河出文庫

 

 

【内容(「BOOK」データベースより)】

画壇の若き俊才にして気鋭の美術評論家・片桐は、妻を亡くした春、満開の桜の下で精霊と見紛う少年と出会った―。その絶対の美を手に入れたいと願う彼の心は、少年と少年の家族の運命を破滅へと導く。逃れ得ぬ陶酔の迷宮に囚われた男の悲痛な狂気が織りなす、至極のゴシック・サスペンス。

 

 

シメール

 

 

 

3章の構成になっている。

 

アムネジア

シメール

ナジェージダとナジャ

 

 

この物語は、二人の視点で語られていく。

ひとりは、“ 翔 ”という中学二年生(14歳)の少年。

もう一人は “ 片桐哲哉 ” という36歳の画家。

 

翔が8歳のクリスマスに、家が火事に遭い祖母が亡くなった。

何もかも失い狭いアパートに移り住んで6年。

 

ある日、青山墓地に家族で花見に行って、そこで片桐哲也と出会うことになる。

片桐は、3週間前交通事故で亡くなった妻の納骨で来ていたのだ。

翔の両親と片桐は美術大学で一緒だった。

両親は学生結婚をして、母は双子の「聖(せい)」「翔(しょう)」を産んだため退学。

それから片桐は翔の家にたびたび手土産やプレゼントを持って訪ねてくるようになる。

片桐は画家、美大教授、翻訳家、作家、そしてテレビにも出ている人気文化人なので、翔も顔を知っていた。

 

そんな中、アパートを出なければならなくなり、片桐の厚意で彼の1階フロアをアパートの家賃だった6万円と同額で、全部使わせてもらうことになった。片桐の家は豪邸で裕福な生活をしているようだった。

 

片桐が初めて翔と会った時の衝撃。

墓地で出会った“翔”の美しさに「満開の桜の木の下に精霊がいた。わたしの身は震えた~」「君を生きたまま、壁に飾ることができたなら…」と…

彼の視点での語りは、翔に魅了された心の動きが、だんだん狂気を帯びてくる

 

ふと、イタリアの巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画 「ベニスに死す」(本は 『ヴェニスに死す』 )を思い出した。

ベニスで老作曲家がポーランド貴族の美少年の美しさに魅了され、ストーカーのように彼を追い続けるようになる。

少年役を演じた “ビヨルン・アンドレセン” があまりにも美しく、その美しさゆえ、あの映画が有名になったように思える。

余談だけれど、後の彼の美貌の衰えは、これも語り草になっている。まるでオスカー・ワイルドの 『ドリアン・グレイの肖像』 のようだ。

でも、2019年に老人役で映画に復帰した姿は、白髪と白髭の仙人のようで、崇高な感じがしてなかなかいい風貌だと思った。

 

この小説の翔も、そんな美少年であることが大事な要素だ。

少年に魅了される「ベニスに死す」の方は “ 音楽家 ” であること、この小説の方は “ 画家 ” であること。

まさに、美に対する二人に共通するのが “ 芸術家  であることが物語をチープなBLものではなく、耽美な幻想へと誘う のである。

 

 

映画「ベニスに死す」のビヨルン・アンドレセン

 

映画『ベニスに死す』予告編

 

 

翔 については、読んでいくうちに何か釈然としないことが出てくる。

両親は彼のことを「聖」と呼ぶ。翔は時に「僕は翔だよ」と言い返すこともあるが、なぜ両親は間違えていつもそう呼ぶのか。

いくら双子でよく似ているとしても。本当に間違えての事なのか?

兄が翔に話しかけたりするシーンもあるが、何かしっくりこない。

兄と弟の性格は全く違い、兄は優等生で外交的で明るいが、弟の翔は内向的でおとなしく、ひとりで本を読むのが好きで、学校は行っても意味がないと、週に3回程度しか行かない。

 

後に、あの火事で亡くなったのは祖母だけではなく、双子の一人も亡くなっていたことが明らかにされるが、本当に死んだのはどちらだったのか

これは、後に明らかになるまでもなく、読者にはわかる。

 

 

タイトルになっている 『シメール』 とは、いったいなにか?

ギリシャ神話に出てくる、怪獣のことである。

英語ではキマイラ、キメラとも言い、「シメール」はフラン語の呼び名である。

名前の意味は「牝山羊」で、獅子の頭、山羊の身体、竜の尾の三重身で描かれている。

この怪獣は “ 霊的 ” な存在で、「妄想」「空想」「幻想」という意味でも使われているらしい。

わたしは生物学的な「キメラ」は知っていたけれど、シメールと同じだとは知らなかった。

 

翔は、RPGの物語を創作するのが好きで、ノートに日夜書き込んでいる。現実とゲームの空想世界を重ね合わせて書いている。

ギリシャ神話などの神、天使、怪獣などかなりの知識を持っていて、片桐は翔と感性が一緒で、ますます惹かれていく様子が綴られる。

このRPGの物語も随所に挿入され、この小説の重要なモティーフとなっている。

 

結末で、タイトル 『シメール』 が、この小説の真髄 を表していることに気づく。

 

巻末の解説に次のように書いてある。

 

“なんと完璧な悲劇であろうか。

読了後、再度冒頭の一文に戻ってみてください。

必ずや、ああ、なんと完璧な小説であろうか、と ”

 

まさに、そのとおりだった。

 

冒頭のそれは 『シメール』 の題名の裏に書いてある一文。

読んではいたが、特に頭にとどめてはいなかった。

 

 

人はみな幻想(シメール)を  

 C=P・ボードレール

 

 

片桐は、最後に翔がとった行動を意識的に止めなかった。

翔の美しさを幻想の中に閉じ込め、永遠に幻想の中に生き続けさせるということか…

 

幻は幻のままに…

 

 

この作家の作品は 『この闇と光』 で初めて読んだか、独特の世界観で私の好みの作家になった。

その作品とも通ずるものがある。

作中に出てくる芸術作品(絵画や彫刻)のタイトルの数々。作者の教養の深さに驚く。

わたしには、知らないものも多いが、この小説には欠かせないものであることはわかる。

 

服部 まゆみさんは、2007年58歳で逝去している。

長編、短編集合わせて10冊しか出版されていないと解説にあった。

この『シメール』も復刊されたものだ。

なんとも素晴らしい作家を失い残念だ。

 

 

【余談】

私が、なぜこの作家が好みなのかが読後分かった。

私の好きな皆川博子の作風と似ているからだと納得。