花の文を 寄る辺なき魂の祈り 石牟礼道子

 

   きよ子は手も足もよじれきて、手足が縄のようによじれて、

   わが身を縛っておりましたが、 見るのも辛うして、

   それがあなた、死にました年でしたが、

   桜の花の散ります頃に、私がちょっと留守をしとりましたら、

   縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。

   たまがって、駆け寄りましたら、

   かなわん指で、桜の花びらば、拾おうとしよりましたです。

   曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血い出して、

   「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。

   花もあなた、かわいそうに。地面ににじりつけられて、

   何も恨みも言わなかった。

   嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば、拾うのが望みでした。

   それであなたにお願いですが、文ばチッソの方々に書いて下さいませんか、

   いや世間の方々に、桜の時期に花びらば一枚、

   きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。

   花の供養に。

 

 

 

 二重制

 「それが死にました年でしたが」現前と死との二重制

 「花もあなた、かわいそうに」かわいそうなのはきよ子だけではない花びらも

 「嫁入り前の娘が」 ここで一気にきよ子の現実の時間と一生の時間が重なる

 「何も恨みを言わなかった」きよ子も花びらも恨みを言わなかった、と重なる

 「チッソの方々に」「世間の方々に」チッソの方々世間の方々、と重なる

 「きよ子のかわりに」我々すべての人がきよ子しゃんに寄り添い重なる

 「花の供養に」花の供養きよ子の供養と重なる

 これらすべての二重制は重い

   

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 花びらを地面ににじりつけたきよ子を花びらは恨まなかった 許した

 水俣病にさせられたきよ子もチッソを恨まない 許す

 この詩はそのような詩 ですよね?

 そのかわり "許す"という意味には永遠という長さの"責任"がついてまわるはず、、、、、