無題   八月十八日   夏目漱石

 

    行きて天涯に至って白頭なり易し

    故園 何処か 帰休を得ん

    楚夢を驚残して雲猶お暗く

    呉歌を聴尽して月始めて愁う

    郭をめぐる靑山 三面に合し

    城を抱く春水 一方に流る

    眼前の風物 也た喜ぶに堪えたり

    桃花を見んと欲して独り楼に上る

 

    世界の果てまで放浪していたら白髪になってしまった

    帰る故郷は何処に有るのか

    楚王が美女と契った夢は雲とだった 雲は今も暗くある

    情熱的な呉歌を歌って楽しんでも 月は憂い顔だ

    街の城壁の三方は青い山に囲まれていて

    もう一方からは春水が城に向かって流れている

    こうした目の前の風景は十分楽しませてくれる

    桃の花が咲いているあたりを見るために楼に上る

    そう 一生かけて天涯まで行って「故郷」を探すより

    この今の眼前に「故郷』が 

    「桃源郷」はここかもしれない