「うぐひすを魂(たま)に眠るか嬌柳(たほやなぎ)」
糸を垂れた たほやかな柳 その柳の姿に、眠る美女を想像したのか。
『莊子』斉物論に、荘周が夢に胡蝶となった故事があり、それによって、
折から鶯の囀りが聞こえるが、柳の精が夢に鶯になって、いま囀っているのか、
と、言った。
柳のたおやかな姿態から発想したもので、駘蕩たる春昼に眠る柳の離魂の姿
を鶯に見た。
莊子の寓言仕立てにしたところが、巧み過ぎている。
「芭蕉 全発句」 山本健吉
<胡蝶の夢>
昔 荘周が夢の中で蝶になった。ひらひらとした蝶。自分でも楽しく
普段の思い通りなって、自分が荘周だということを知らなかった。
ふと、目が覚めると、きょろきょろしてびっくりしている荘周であった。
いったい荘周が夢の中で蝶になったのか、蝶が夢の中で荘周になっている
のか、さっぱり分からない。
だいたい荘周と蝶とは、ハッキリ区別があるはずだ。それがこんなことにな
る。これを万物の変化というのだ。『莊子』斉物論篇
この話をまとめて一言で言われるようになったのが<胡蝶の夢>という言葉
それは荘周と蝶の区別がなかったように、現実と夢も、生と死も、元来は
区別がないのだ、だからありのままの現実を受け入れて生きていこう、それ
が精神の自由への道だ、というのである。
『莊子』至楽篇
莊子の妻が死んだので友達の恵子がお弔いに来た。見ると、莊子は足を投げ
出して座り、酒壺を叩きながら歌をうたっている。
ー奥さんが死んで、泣かないのはまだしも、酒壺を叩いて歌うとはーと
恵子があきれると、莊子は言った。
ー天地が分かれてこの世ができて、初めての死、というなら、わたしだって
感ずるところがある。元来は、生命もなく、形もなく、その元になる「気」
もなかった。ぼやっとした混沌の中でまじりあっているうちに変化して
「気」が生じ、それが形に、そして生命になったもの。
四季の変化と同じじゃないか。妻は、又元に戻って、天地という巨大な
部屋の中で眠っているのさ。それをワアワア泣き出したら、天命に通じてな
いことになりはしないかねーと。
「中国の故事・ことわざ」芦田孝昭
夢が現か?現が夢か?
フロイトの精神分析は、夢をもとに現実の自己を探る。夢と現実は一体ということ
になる。
この現実は、夢、なのだあ!
何時も見ているあの、奇想天外!!!な、夢は、現実、なのだあ!!!
生きていることも、夢。死ぬことも、夢。
死ぬことこそ現実、、、、、
それにしても、芭蕉の俳句は凄い。
たおやかな春の日。川辺の柳の枝がしなやかに揺れている。鶯が囀っている。
柳は、うつらうつら眠っていて、鶯になっている夢を見ているのだろう。