「もろともにわれをも具してちりぬ花うき世をいとふこころある身ぞ」 

                                西行

 

  散りゆく桜よ 私も一緒に連れてっておくれ 「この世」を厭うてる私なのだ

 

  西行は 二十三歳で「出家」し 七十三歳で他界するまで 漂泊の旅を続けた

  という。だがその間 三十年間も高野山に在住していた事実がある。

  「出家」した後の 漂泊の旅と三十年間の高野山暮らしは何だったのか?

 

  西行の和歌を読むと 西行の「出家」は 「悟り」を得るためなのではなく

  ただ「この世」が嫌いなだけで この世を去り 大好きな「花鳥風月」に接する

  ための手段だったのではないか?という極論 それが 西行の人気になっている

  という気がする

 

  三十年間の高野山の生活は「修行」だったのか?

  「出家」とは、「修験僧」とは、何なのだろう?

  生涯を通じての「修行」の合間に 折々に感じたことを「和歌」にしただけなの

  だろうか?

  「漂泊」は「修行」なのか?

  

  「詩人」は「生きること」が主題?