「風雅は我が好むところにして、、、、、』松尾芭蕉 水鶏なくといえば、、、、
水鶏(くいな)なくといえば 佐屋 泊まり
佐屋(伊勢境に近い尾張領海部郡)
ーー水鶏を詠むことは、水辺の蘆など生えた、鄙びた閑かな土地への挨拶である。
水鶏が啼くから聴きに行こうと誘われたという意味。
古来「水鶏たたく」と言われているのは緋水鶏で、夏の朝夕、コツコツと高音で鳴く。
木曽川畔の蘆間に近い隠士の邸宅の幽閑を、水鶏の啼くことで賞したので、
それも人が言ったからとさりげなく、淡々と表現しているのが面白い。
芭蕉全発句 山本健吉
今 砂漠の町ラスベガスに住んで 日本に居るときも 水辺に棲む水鶏という鳥も知らず、もちろんその啼き声も知らず
江戸時代の松尾芭蕉を読んでいる その松尾芭蕉は 水鶏の啼き声を聴くために その日の宿を決めたという