『この人を見よ』 切り抜き写経? ③ 著ニーチェ訳西尾幹二
_____私の著作の空気を吸うことを心得ている者は それが高山の空気であり
強烈な空気であることを知っていよう
読者はこの空気に向く人間にあらかじめ創られていなければならない
さもないと この空気に当てられて風邪をひく危険は決して小さな危険とはいえない
氷は真近だ 孤独は凄絶としている 、、、それなのに 万物は光の中に何と平静に横たわっていることであろう!
何と自由に呼吸が出来る事であろう! 何と多くのものが自分の足の下にあるように感じられることであろう!
私がこれまで理解し 身をもって生きてきた哲学とは 氷と高山の中を自ら進んで生きることであり、、、
存在の中にある異様なものや怪しげなもののいっさいを
すなわち道徳によってかねて追放されていたもののいっさいを捜し出すことであった
私は”禁断の領域”をこのように遍歴した永年の経験から
これまでに道徳化や理想化を引き起こしてきた諸原因を
大方の世間が期待する処とはまったく違った見方で見ることを学んだ
一つの精神はどれだけの真理に”耐え” またどれだけの真理を”敢えて試みる”か?
ということが 私にとってますます 価値の本当の物差しとなってきた
錯誤(__すなわち理想の信仰__)とは 盲目のことを言うのではない
錯誤とは”臆病”に外ならない 認識におけるあらゆる獲得 あらゆる前進は ”勇気”によって生じる
すなわち自己に対する酷薄さ 自己に対する清潔さから生じる、、、
私はさまざまな理想が存在することを否定しようとは思わない
私はただそれらに出会うと手袋をはめるだけである
、、、「われらは”禁断のものを”求むるなり」(オイディプス「恋愛歌」㊂㊃⒄)
この旗印の下にいつか私の哲学が勝利を収める日も来るであろう
何故ならば これまではいつもただ 真理だけが原則的に禁じられて来たのだから、、、、、、