我発見 被殴打的 根本原因 「ものぐさ精神分析」岸田秀著
________とにかく僕は 学生の時は教師を殴ったことはなく 教師の時は学生を殴ったこともないのだが
学生の時は教師に殴られ 教師になると学生に殴られ その逆の目に会い続けているわけで
それはひとえに僕が終始一貫 確固不抜として”ふまじめ”であるためらしい しかし僕は
伊達や酔狂で”ふまじめ”をやっているわけではないから 殺されれば別だが 殴られたぐらいで
「はい そうですか」と ”ふまじめ”をやめるわけにはゆかないのである
* 伊達や酔狂で”ふまじめ”をやっているわけではない
* ”ふまじめ”をやめるわけにはゆかない
何故 そこまで”ふまじめ”にこだわるのか?
何故 そこまで”ふまじめ”をしたいのだろうか?”まじめ”を嫌うのだろうか?
戦争中の小学生時代から 戦後の大学教授になってまで 終始一貫”まじめさ”に対抗する態度は 何故?
例えば__授業中教師が「かげひなたがあってはいけません」と”説教”したので すかさず僕は「それじゃ かげでもひなたでも
怠けてりゃいいんだ」と叫んだ__僕は木刀を数本敷いた上に正座させられた
戦争が終わり民主主義の世の中になってからでも 中学生の僕は依然として教師に殴られた 柔道五段か六段かの体育の教師を
”からかって”殴り飛ばされたこともある この時は本当に文字通り 体が吹っ飛んだ
教師をからかう”癖”?
大学教授のときは 大学紛争時代で授業料値上げ反対闘争の学生に殴られる
大学のコンパで女子学生と「ふざけ過ぎる」と男子学生に殴られたり 「お前の説は気にくわぬ」と言って殴られたりも、、、
”ふまじめ”根本原因は何処に?
気質性“まじめ”嫌悪症という不治の病?、、、、、、、