”月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり、、、、” 松尾芭蕉「奥の細道」発端

 

  百代とは 一代二代三代と百代続くこと ほとんど永遠ということ 過客はかかくと読んで旅人のこと

  月日つまり 時間は永遠の旅人 かっこいい 時間を旅人にしている 新しい! ”故きを温ねて新しきを知る”

 

  次は 視点を永遠から日常へ 毎日目の前を過ぎてゆく時間へ 一代ではなく一年一日というその時間も過客と同じ意味の別の言葉を使ってまた旅人なんだと

 

  月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり 発想もかっこいいし技巧も冴えている! そして次に続く

  ”舟の上に生涯を浮かべ、、、、” またかっこいい! 生涯を浮かべ! 船頭さんは舟を浮かべるが その身も生活そのもの生涯も舟に浮かべている この浮かべるという意味を舟と生涯に懸けている この技巧!

 

  ”馬の口とらへて老いを迎ふる者は 日々旅にして 旅を栖とす”  船頭さんは毎日舟を浮かべ櫓をこぐが

  馬方さんは毎日馬の口をとらえながら歩いて行く そうしながらの毎日で老いを迎える者だ という 老いを迎へる!これも新しく感じる 老いを迎える! いい!

 

  こうした船頭さんも馬方さんも ”日々旅にして 旅を栖とす” 毎日が旅で その旅そのものを住居とし栖(すみか)としている 日々が旅で旅が栖 いい!

 

  “古人も多く旅に死せるあり”

  古人とは 李白・杜甫・西行・宗祇など風雅の道の先人たちのこと みな旅の途上で死んでいる 客死

 

  ”月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり

  舟の上に生涯を浮かべ 馬の口とらへて老いを迎ふる者は

  日々旅にして 旅を栖とす 古人も多く旅に死せるあり

     余も いづれの年よりか 片雲の風に誘われて 漂泊の思ひやまず 海浜にさすらへ、、、、、”

 

   片雲 ちぎれ雲 片雲の風に誘われて いい! 漂泊 あてもなくさまよい歩く  

 

  漂泊の思ひやまず 海浜にさすらへ、、、、、、

 

  いい!