「調子に乗る」の意味がわからない!
こんにちは。
スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。
一時期(少し前か?)流行った「自己肯定感」という言葉。
自己肯定感が高いと幸せになれる、引き寄せがうまくいく、恋愛が上手になるなど、様々な利点があげられていました。
しかし、最近、館長・星子が思うのは、「自己肯定感を無理に上げなくてもよいのでは?」ということです。
というのも、これまた最近、このブログでよく取り上げている偽光(フォルス・ライト)や、スピリチュアル業界のティーチャーやヒーラーなどの「グル」化などについても、この「自己肯定感」がかかわってくるように思うのですね。
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スピリチュアルな話をする前に、少し3次元的な話をしますと、
「自己肯定感」を上げよう・高めようとすると、まず、「上げるため・高めるためのツール」を探そうとしてしまいます。
「自己肯定感」を上げる方法が書いてある本を買って読んだり、セミナーへ行ったり……。
さらには、「自己肯定感」を上げるためのアイテムや人を求めるようになります。「ずっとこうしたかった理想の暮らし」に近づくためのアイテム――アロマポットを買ったり、ブランドのワンピースを「バーゲンでなく」買ったり、高級ホテルでお茶したり――。
そして、そうした方法を学んだ結果、どうなるのか?というと、「自己肯定感」が上がった・高まったとする証拠が現れることを望むようになるのです――お金持ちになる、素敵なパートナーなど……。
別に、アロマポットを買うことやホテルでのお茶やワンピースが悪いわけではないですし、お金持ちになって素敵なパートナーを得ることを望むなというのではありません。
しかし、「自己肯定感」を上げようとしていたところ、その上げるプロセスにおいて、意識が外に向かってしまい、自分の内面を見なくなってしまうのです。
ワクワクを追い求め過ぎたり、引き寄せの法則で、この世のすべての悩みを解決できると思い込んでいる人たちと同じく、「自己肯定感」を何とか上げたいと思っている人も、しだいに、外にばかり意識が向かってしまい、「あれも、これも」と欲望のまま、意識が分散していってしまいます。
外にばかり意識が向かっていると、マインドも忙しくなり、内面にフォーカスするのがめんどくさくなってしまうのです。
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「でも、星子さん、とはいえ、『自己肯定感』が高い方がよくはないですか?『自己肯定感』が低くて、いいことなんてありますか?」
と思うかもしれません。
しかし、これが意外とあるんですね!
スピリチュアル業界だけでなく、世の中の様々な立場や状況にいる人もそうですが、そうした人たちが失敗したり、良くない方向へ行ってしまう大きな理由の一つが、
調子に乗っているから
……なのですね。
仏教の説法などではよく「驕り(おごり)」などと言われていますが、館長は、あまりこの言葉はしっくりこないんですよね。
「調子に乗る」という方が、誰かや何かの存在に「乗せられた」という感じも含んでいる気がして、こちらの方がしっくりします。「驕り」というと、その当人だけの問題に受け取られがちだと思うのです。
スターシード図書館は、スピリチュアルについてメインで扱うブログなので、スピリチュアル業界を例に取ると、ガチ・スピリチュアル勢(ぜい)で、当初から、もうはっきりと「人々を惑わして偽光(フォルス・ライト)へ引き入れるぞ!」という意図をもった、能力だけは、やたら高い闇の存在や、それに操られているような人でない限り、特に日本で、スピリチュアル・ビジネスをしている人の多くは、それを始めた時は、「人を幸せにしたい」という善なる意図をもっていたのだと思うのです。
ところが、人気が出始めると、しだいにそれが、「いくら儲かるか」、「これで生活していけるか」といったビジネス・マインドで物事を選択するようになっていきます。
だいたい、その人気が出てくる時期になると、その人の周りには、取り巻きのような人間が群がるようになります。
そういう人たちは、ひたすら褒めて、いいことしか言わないのです。そこで、調子に乗ってしまう人は、そういう人たちの言葉をすべて鵜呑みにしてしまい、気づいたら高次元から低次元へ転げ落ちているのです。
ところが、もともと「自己肯定感」が低い人というのは、「いやいや、わたし、そんなに、すごいはずないよ」と、どんなに褒められても、それをまともに受け入れられません。
これは、困った性質ではあるかもしれませんが、実はいい面もあります。
そもそも「自己肯定感」が低い人は、これまでの人生で、「調子に乗る」ということがなかった人も多いでしょう。
その前に、「調子に乗るという感覚すら、わからない」のでしょう。
こうなれば、もはや、「調子に乗って、あらぬ方へ行ってしまう」、「高次元から転げ落ちる」ということなどありません。「調子に乗る」ことが、まず、ないのですから、心配しなくていいのです。
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「自己肯定感」を無理に上げる必要はありません。
しかし、ずっと、「自分なんて…」というままだと、辛いですよね。
そういう時はこんなエクササイズはいかかでしょうか。
やり方は簡単!
誰かを一つ褒めたら、自分のことも一つ褒めるのです。
この誰かは、家族、恋人(パートナー)、友達、同僚、そのほか、誰か「推し」のアイドルなどでも構いません。
褒める時は、直接言わなくても、口に出さなくても、心の中で思うだけでよいです。
ただし、自分のことを褒める時は、その誰かのためにしたことを褒めるのではなく、自分だけがしたことを褒めます。
例えば、星子の「推し」のアイドルが、アリーナでライブを終えた日の夜遅くに、ラジオの生放送をしたとします。
そうしたら、「○○君、ライブで疲れているはずなのに、深夜の生放送ラジオもして偉いね」と心の中で思ったら、その日の夜、同じく疲れているのに、仕事の帰りに食料品を買った自分、眠いのにお風呂に入った自分などを同様に、「疲れているのに、買い物して偉いね」や「お風呂に入って、偉いね」などと褒めるのです。
こうした「買い物した」、「お風呂に入った」というのは、「自分がしたこと」です――これは褒めてもよいです。
でも、「ライブで疲れている○○君がラジオもしたこと」を褒めた後に、「○○君のCDを30枚予約した自分は偉い」というように、「○○君のためにしたこと」=誰かのためにしたことを褒めるのは、ナシです。
あくまで、誰かの言動を褒めたら、自分だけにかかわる言動を褒めるのです。つまり、「○○君」などの、誰か他者の関係ないところで、自分を褒めるのですね。
こうすることで、「褒めること」の矢印が、→「自分」に向きます。
そうして、「褒め」のエネルギーが誰かではなく、自分に蓄積していくのです。
この方法のよいところは、自分を褒めるのを忘れないでいられることです。
「自己肯定感」が低い人は、他者を必要以上に自分より高い位置に置いてしまい、人のことをかまって、自分のことは忘れてしまいがちです。
誰かのことは褒めても、自分のことを褒めることは後回しにしてしまうのです。
ですが、誰かを褒めたら、自分を褒めると決めておけば、その都度、思い出し、忘れることはありません。
褒める内容は、本当に日常的なことでよいのです。そもそも「自己肯定感」が低い人は、他人のごく普通の言動さえも、気づいたら褒めていることがあるものですから、自分の場合も、ごく普通の言動を褒めればよいのです。
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いかがでしたか?
「自己肯定感」を上げようと無理をするよりも、「自己肯定感」が低い自分を認めて、その利点を生かしていく方が、ずっと、楽です。
もしかしたら、その方が、気づいた時には、「自己肯定感」が上がってるかもしれません。
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今日も読んでくださり、ありがとうございました。
