ずっと、
いられるところ
ではない!?
こんにちは。
スターシード図書館へ、ようこそ。
館長の星子(ほしこ)です。
★
ノンデュアリティ(非二元)は、
アセンションとは、
真逆の方向のものですが、
例外的に、
ノンデュアリティに行くのも
いたしかたなし、
という場合があると思います。
それは、もう、この世から、
消えてしまいたい
と思う時、
苦しい、辛い、と、
死を想ってしまう時です。
こうした時、
ノンデュアリティ、
非二元は、
役に立ちます。
ノンデュアリティ・スピーカーの
大和田菜穂さんも、
ノンデュアリティに惹かれて、
自分のところへ来るときは、
みんな、苦しいとか辛い時だ
ということを、
以前、動画で仰っていました。
★
何らかの原因で、
もう、消えてしまいたいと思う時は、
ノンデュアリティへ、
行ってしまうことも、
ありといえばあり、です。
死のうとするよりは、
マシだと思います。
なんせ、命を断つことを試みても、
まだ寿命が残っていたら、
生き残ります。
そうなると、
体はダメージを受けているので、
リハビリしなければなりませんし、
何もしなかった場合よりも、
何倍も大変です。
(それで目醒めるという
人もいるかもしれませんが。)
もう、消えてしまいたいと言う時は、
大抵、もう何もかもなかった
ことにしたい、
悪夢ならば目覚めたいとか
すべてがなくなることを
望んでいます。
ノンデュアリティ(非二元)は、
ネガティブな出来事もなければ、
ポジティブな出来事もない、
何にもない、
誰もいない、
「わたし」さえいない、
という主張をしているものですから、
望み通り、
すべてなかったことにする
が可能なのです。
もし、今、悩んでいるこの世界の
すべてがなかったら、
どんな感じがするのか?ということを、
一時、体験できるのが、
ノンデュアリティ
(非二元)
なんですね。
まるで、マジックのように、
一瞬で、消してくれるのです。
スピリチュアルをやっていて、
どうしても辛くなった時も、
ノンデュアリティ(非二元)へ
近づいて行きやすいです。
何だか、色々やってしまって、
辛くなってしまった、
あるいは過去世からのカルマを
解消するため、
ネガティブな感情がわいてきて、
ひどく苦痛だ、と言った場合、
すべてを0(ゼロ)に、
戻してくれる、
ノンデュアリティ(非二元)
に惹かれていきます。
もともと、スピリチュアルと、
ノンデュアリティ(非二元)は、
親和性があるのです。
…以前、ガチガチのリアリストの人に、
ノンデュアリティ(非二元)の
話をしたら、
「自分が体験したことを、
言葉にできない?
誰も理解できない?
じゃあ、なんでそれを、
人に話す必要があるんだ?
自分の中だけで、
わかっていればいいじゃないか。
それなのに、結局、人に話すとか、
セミナーとかで
お金取りたいだけだろ?」
という言葉が返って来たんですね。
リアリストからしたら、
証明できないこと、
つまり、
再現性のないことについて、
人に話す必要はない
ということらしいのです。
まあ、言われてみれば、
そうかもしれないのですが
もともとスピリチュアルを
やっている人は、
目に見えない世界があると
信じているので、
ノンデュアリティ・スピーカーの人が
発言することを、
そのまま、
鵜呑みにしやすいのですね。
そういった人は、
別に何かを証明して欲しいとは、
もともと思っていないのです。
なので、ノンデュアリティは、
スピリチュアルではないにもかかわらず、
スピリチュアルをやって来た人が、
もっともハマりやすいものなのです。
でも、ノンデュアリティに惹かれても、
どこかの段階で、
また、スピリチュアルへ戻ることが
あります。
要するに、ノンデュアリティ
というのは、
精神世界における、
バカンス
みたいなもの。
そこへ行って、ちょっと、
リフレッシュして、
また戻るみたいな。
でも、ノンデュアリティ・スピーカーの人のように、
ずっと、そこに、留まって
いる人もいます。
それは、たとえて言うなら、
ハワイへバカンスへ出かけて、
そのまま、そこに住みつき、
帰って来ないと言う状態です。
そういう人は、大抵、
ある日、突然、
自分はいないんだ
という体験
(非二元)
をしています。
(↑これがリアリストが証明できない
という部分になりますが。)
そういう人は、
バカンスの地から帰りません。
でも、そういう体験をしていない人は、
そう言う人の話を聞いても、
多くの場合、スピリチュアルへ
戻って来るのです。
いくらノンデュアリティ(非二元)へ
行ってしまいたいと思っても、
魂のブループリントというか、
運命がスピリチュアルの方を
示していたら、
スピリチュアルの方に、
連れ戻されてしまうのです。
こう言う状態になった人を、
ノンデュアリティ・スピーカーは、
「わたし」が生き残りたいから、
探求の世界へ戻ったんだと
説明すると思いますが、
そうじゃないんですね。
そもそも、その人は、
ノンデュアリティを選ぶ運命になく、
アセンションのために、
何らかの役割のあった人かも
しれないのです。
「わたし」が消せないからではなく、
ノンデュアリティを選ぶ運命に
ないのですね。
ノンデュアリティを選んだ人は、
バカンスの状態に居られますが、
そこで探求が終わるので、
成長もそこで終わります。
なので、アセンションの方向へは
いきません。
★
ノンデュアリティをやっている人
の中には、
スピリチュアルとノンデュアリティの
「いいとこ取り」をしている人がいます。
ここで一つ、確認しておきたいのですが、
ノンデュアリティ
(非二元)
と、
光と闇の二極化の
統合
とは、似ているけれど、
全く別ものということです。
非二元は、もともと非二元なのです。
しかし、統合は、もともと分離していたものを、
一つにすることなのです。
つまり、宇宙の成長段階において、
分離というプロセスを挟み、
それを統合する、ということです。
その場合、闇を光で包み込みます。
★
ノンデュアリティ(非二元)が、
スピリチュアルと親和性があるのは、
統合された状態が非二元なんだ
と思っている人がいるからでしょう。
さらに、すべて自分が創っているから、
誰のせいにもしない、
闇もないんだと言う考えとも
相性がいいので、
非二元を平和的な愛あるものと思い、
自身のスピリチュアルライフや主張に、
取りこんでいるのですが、
これが、とても危険なのですね。
ある人は、ノンデュアリティを
某○○○の操作が入っていると
言っていました。
館長はその真偽を確かめてはいませんが、
ノンデュアリティが、
闇なんてないんだよ、
と闇の存在の隠れ蓑となり、
アセンションもないんだよ
と非アセンション方向への
誘導となっていることから、
そうした指摘がなされたのだと
思います。
★
こうしたことから、
ノンデュアリティは、
精神世界における、
バカンスのようなもので、
いずれは、帰ることになる土地
ということなのでしょう。
ちなみに、もし、ノンデュアリティを
知りたいのであれば、
トニー・パーソンズや、
パーソンズ系の、
ガチ・ノンデュアリティの本を
おすすめします。
なぜなら、スピリチュアルを中途半端に
取り入れているものだと、
耳ざわりはいいかもしれませんが、
結局、よくわからなくなることが
多いからです。
そして、ガチのノンデュアリティ・スピーカーの場合、
大抵、過去にスピリチュアルの探求をしたことがあります。
その後、ノンデュアリティへ行って
しまった人なので、
スピリチュアルをやっている
人でも、
理解しやすいのです。
でも、あまりに心地よいからといって、
アセンション方向へ行きたい人は、
そこに長く留まってしまわないように、
注意が必要になります。
その心地よさは
4次元のものだからです。
★
一応、ノンデュアリティの危険性
について述べておくと、
「わたし」もいない、
過去もない
となると、
その人の惑星レベル
での過去世、
そのトラウマなどの情報へ、
アクセスできなくなるということ
があります。
そうなると、真の意味での解放や、
解放の道へを模索する機会から
どんどん、遠のいてしまいます。
★
一度あるいは何度か、
高次元の意識に触れたり、
感じたりすると、
それに比べて、
ノンデュアリティの波動が、
極めて荒く、乱暴なものであると
わかるようになります。
高次元の波動は、
より繊細で、
より知的――、
叡智に満ちています。
それを感じると、
もう、ノンデュアリティに、
惹かれることも、
なくなるのです。
★
今日も読んで下さり、
ありがとうございました。
