「悪口」は言えない?

 

 

 

 

こんにちは。

 

スターシード図書館の館長の

 

星子(ほしこ)です。

 

 

先日、とある業界の人と話をしていて、

 

業界内の闇について、

 

詳しいことを知り、

 

びっくり仰天。

ガーン

 

 

それは何らかの形で、

 

世の中に知らせた方がいいのでは?

 

とさえ思ったのですが、

 

そのことを言うと、相手は、

 

「いえいえ、それは

 

星子(ほしこ)さんの心の中にだけ、

 

しまっておいてください。」

 

と言われました。

 

理由は、

 

「やはり、同じ業界の人間が、

 

そういう『悪口』を言った

 

となると、まずいので」

 

とのことでした。

 

 

 

その人は、お客さんに幸せになってほしくて

 

その仕事をしている、と

 

言っていましたが、

 

当の被害を被っているのは、

 

そのお客さんたち・・・。

ショボーン

 

 

館長は、国の機関に勤めることが多く、

 

となると公務員の間で

 

働くことが多いわけですが、

 

公務員の世界は

 

忖度だらけです。

 

そして、彼らは一体何のために

 

それをしているのかと言うと、

 

「自分の身を

 

守るため」

 

なのですね。

 

決して国民のためや

 

相手のため、

 

仕事仲間のためではありません。

 

自分が定年まで勤めあげ、

 

退職金をもらうということ、

 

そうした

 

安定

 

のためには、

 

何でもするというぐらい、

 

それにしがみついています。

 

 

ある意味、安定のためなら、

 

赤の他人はもちろん、

 

仕事仲間さえも、

 

平気で裏切りますし、

 

なぜか、自分の身さえ、犠牲にします。

 

(↑自分の身までくると、

 

保身を通り越して

 

ビョーキですが。

 

そのあり様は、

 

結構怖いものがありますよ)。

ガーン

 

 

ところで、

 

館長はスピリチュアル業界でも

 

忖度(そんたく)は

 

あるなと思います。

 

特に、スピリチュアル業界は、

 

愛と光、

 

自分の内側が

大事

 

という2本柱が

 

ありますので、

 

スピリチュアルのティーチャーが

 

あんな問題やこんな問題を

 

引き起こして、

 

セミナーやイベント

 

カウンセリングやセッション

 

の参加者が

 

心身に被害を受けたとしても、

 

それについて指摘などしたら、

 

愛がない、

 

本質から離れている、

 

外側ばかり見ている、

(内面が大事なのに)

 

などと言ったことを

 

言われかねません。

 

 

また、スピリチュアル界で

 

ビジネスをしていると、

 

やはり同業者のことは、

 

なかなか言えない

 

と言う風になってしまうのです。

 

まるで、他人を落として、

 

自分のところへ集客しようとしている

 

とでも受け取られそうで、

 

そんなことプライドが許さないし、

 

怖いのです。

 

 

引き寄せの法則が

 

絶対的なものではないということを

 

言っている人もいますが、

 

それは心理カウンセラーや

 

オカルトの分野にいる人たち、

 

あるいは、

 

非二元(ノンデュアリティ)の

スピーカー

 

です。

 

(非二元(ノンデュアリティ)は、

 

スピリチュアルとは

 

違うところのもの

 

なようです。

 

これについては、

 

別のところでまた

 

記事にしようと思っています)。

 

同じスピリチュアル業界の人は、

 

そんなこと、

 

はっきり言いません。

 

 

 

さらに、同業者同士でなく、

 

そこにいる参加している人や、

 

何らかの利用者なども、

 

いいことしか言わないのです。

 

例えば、

 

以前、とあるスピリチュアルのティーチャーの

 

動画のコメント欄を見ていたら、

 

「いつも、○○さんを見ていると

ホッとします」

 

「○○さんは本当に愛と光に満ちた存在、

いつもありがとう❤❤❤」

 

「○○さんの話で、思いっきりずれていたところを、

元に戻してもらえた気がします。

感謝感謝!」

 

と言った誉め言葉、感謝の同じようなコメントしか

 

ありませんでした。

 

館長もそのティーチャーさんのことが、

好きだったし、

 

そのティーチャーさんに

感謝もあったけれど、

 

そのコメント欄を読んでいて、

 

なんだかとてつもなく違和感を覚えました。

 

また、それと同時に、

 

館長がさらにこのコメント欄に、

 

褒めと感謝を書かなくても

 

いいような気がしました。

 

さらに、とある有名な猫ちゃんの

 

動画を見ていても、

 

「かわいい」などの、

 

称賛の声ばかりでした。

 

そうやら、こちらは、

 

動画を制作している側が、

 

全て否定的なコメントを消しているようです。

 

この痛そうな動画のコメントにも、

 

猫ちゃんと飼い主への良いコメントが多かったです。

 

 

 

(飼い主さんに甘える愛らしい姿が魅力だったはずが、

しだいに、猫ちゃんを驚かせたり、

戸惑わせたりして、リアクション芸人のように扱い、

それを笑うという、悪趣味な方向に。

猫ちゃんに振り回される、心優しい飼い主は

どこへ・・・。)

 

 

 

 

スピリチュアルでは、よく、

 

ありがとうを何回唱えるとか、

 

言霊というものがありました。

 

良い言葉を使うと、幸せになれ、

 

逆に不平不満や他人を貶めるような言葉を使うと

 

自分に不幸をもたらすと。

 

そもそも、鏡の法則で、

 

自分の内側が外に映し出されているんだから、

 

外に文句を言うより、

 

自分の内側を見よ、

 

と言うのです・・・。

 

こうした教えが、繰り返し手を変え品を変え、

 

あらゆる人から発しられるようになりました。

 

さらに、スピリチュアルのみならず、

 

対人関係を解決するためや

 

成功するための

 

自己啓発においても、

 

これらのことが、吹聴されるようになりました。

 

その結果、

 

愛と光、

 

誉め言葉と感謝

 

 

あふれる世界になったかと言うと、

 

何とそうではないのですよね。

 

むしろ、口先だけで、

 

やたらと愛と光を持ち出す人が増えました。

 

とりあえず、愛と光さえ、言っておけばいい

 

みたいな感じです。

 

誉め言葉や感謝にしても、

 

とりあえず発されてはいるものの、

 

その中身は空っぽな感じです。

 

時々、館長は、愛と光や誉め言葉や感謝の洪水から、

 

逃げ出したくなることがあります。

 

と、同時に気づかないうちに、自分も、

 

愛や光を全てにおいて優先し、

 

褒め言葉や感謝を口から吐き出していることに、

 

ふと気づきます。

 

そして、自分が嫌になります。

 

 

 

 

YouTubeからは、

 

バットのボタンが消えました。

(↑これは、別の意図も

あるかもしれませんが)

 

結局、人々は何を恐れているのでしょう。

 

何をしようとしているのでしょう?

 

そして、自分は何を恐れているのでしょう。

 

何をしようとしているのでしょう?

 

とりあえず、愛と光以外のものを

 

全て排除してしまえば、

 

闇を見なくて済む、と思っているのでしょうか。

 

褒めて感謝していれば、

 

自分の身は守られ、

 

相手に危害を加えられないし、

 

それどころか、

 

褒めておだてれば、相手は自分の

 

意のままになる、とさえ思っているのでしょうか。

 

いずれにせよ、館長は、このようなことに、

 

とてつもない違和感を覚えるときがあります。

 

また、おかしいと思うことをはっきり言えば、

 

批判だ、アンチだ、嫉妬だ、

 

愛がない、本質を分かっていない、

 

などと言い出すのです。

 

この風潮は人を自由にするどころか、

 

人を収縮させるばかりです。

 

おかしいことは、

 

おかしいと、はっきり声に出す。

 

この正直なやり取りがない限り、

 

関係は偽りのままです。

 

簡単に言えば、

 

ずっと、嘘をついているのと同じ。

 

自分に嘘をついている、

 

他人に嘘をついている、

 

そのどちらにせよ、

 

そこに、

 

本物の信頼は

 

宿りません。

 

 

空疎な愛と光の

 

誉め言葉と感謝が乱用される、

 

このカオスな世の中において、

 

自分も他人も信頼できなければ、

 

簡単に吹き飛ばされてしまいます。

 

 

そこで、とりあえず大事なのは、

 

自分に嘘をつかないこと。

 

すると、しだいに、

 

他人の中にある、嘘も見抜けるようになります。

 

すると、そんな他人に対し、

 

嘘の褒め言葉や感謝は言えなくなります。

 

そうやって、少しずつでも、

 

嵐の中で立っていられる存在に、

 

なっていくことが、今は大事ではないでしょうか。