仕事は順調?親や局員の人、久々に会う人にはよく聞かれる質問だ。順調か?データがないので分からない。まだ4年目だ。4年目でこれ。4年目でこれは、順調なのか。そもそも順調ってなんだろうか。世代の平均年収を超えるかどうか?やり甲斐は?働くってなんだ。ただただ積み上がる好きな仕事の質量に耐えること?“耐える”という感覚が無くなる瞬間を迎えること?苦手なことを得意なフリするのが上手くなっていくことかしら?【好き】という気持ちだけをニンジンのように前髪に垂らされて、本当は誰がやってもいいタスクをこなし続け、いつかニンジンが無くなった日に「それでも走らずにはいられない身体」となることが目標なのか?クエスチョンマークを付けているくせに全く答えを知りたくない質問ばかり。向けられる期待は全て、落胆への助走に見える。それはクラッカーを鼻先に差し向けられているような、少しもめでたくはない緊張感だ。例えば6年間学んだ先に卒業式があって、例えば辛い受験勉強の先に大学生活があって、そんな5年前後で章を閉じるようなリズム感で青春を送ってきたからこそ、25歳の社会人4年目というこのタイミングで「なんか、ある?」と周りをキョロキョロしているのだろう。無論、「特になし」である。働いて、仕事が続いていくのだ。改行、改行。仕事を休んで、改行、改行。でも、章をまたぐほどは、段落を開けられない。開けてはならない、若造なので。カタカタと滑らかにタイプされ続けていく人生、初めての長編に突入していく。何か大きな、章をまたぐような、ともすれば下巻に突撃しちゃうような、そんな何かがなければいけない、はず。一番必要な「何か」は自分ではもちろん分かっているのですが、そこまでの距離が遠すぎて、駆け出すのが恥ずかしい。「全速力で走れば間に合う電車」が止まっていても、走っている姿を見られるのが嫌で走らない、そんな25年間でした。嫌な要約だけれど。「何が好きなの?」とよく聞かれる。知り合って3年以上経つ人にも、ついこの間そう質問された。社交的でない僕。どんなに仕事相手として日を重ねて交流したところで、その人の目に映るのは「得体の知れない人間」なのである。そう書くとちょっとカッコいいが、実のところは「あまりプライベートを切り売りしない」ということなので、シンプルに言えば「ツレない奴」ということだ。話していても、匂いがしない人。わざわざ聞かないと、分からないことばかりなのだろう。「映画とか、好きですね」そう答えるたびに、「なるほど、これこそがモテない男だな」と、トイレの鏡をブチ割りたくなるような感情が押し寄せてきます。ここに立っているのは、つまらない男性だなぁと。「人の魅力はその人が最も楽しみを覚える瞬間に強く起因している」と、思うことがあります。「楽しめる力」を持つ人は、一緒に楽しみたいと思わせてくれるし、「そんなアナタに、私の世界を楽しんでもらえるのか試してみたい」そんな気持ちにもさせてくれます。「この人に、これを見せたら、何て言うだろう」「この人にオススメを聞いたら、何を差し出してくれるだろう」想像しちゃうけど、答えが想像できない。そんな、大きくてカラフルなブラックボックス。そんなような人間に、なりたかった。きっと僕自身も、僕にあまり興味がない。今度、親友が結婚する。初めて「御出席」の「御」を消した。自分で自分の尊厳を削り落とすのは慣れているので、問題ない。式場で流れる思い出のVTRには、若かりし頃の僕らの写真をたくさん使ったそうだ。ひたすらピースしている頃の。プロジェクターで投影される、ビー玉みたいに輝いた瞳の自分と、目を合わせるのが怖い。たくさん、たくさん、ご祝儀を渡そうと思う。少し貯めたお金ぐらいしか、僕が社会に向けて震わせられる声帯はないのだから。サンダルで職場に行くような仕事のくせに、僕はスーツを着ていこう。君の祝福に、惜しみなく、腕の筋肉を使おう。毎日毎日、パソコンしか叩かない、柔らかくなった手のひらを打ち付けて、万雷の拍手を鳴らそう。君の人生の新巻の帯に、小さくても良いから、僕の名前を載せてほしい。そんな“生きる”の進め方を、僕はこれから学んでいきたいのです。今日は生まれてから、9412日目らしい。7856日目は何を食べたんだろう。13572日目には、僕は誰から、下の名前で呼んでもらえているだろう。