僕はダメな人間です。
でも想像力に関しては
【中の上】だと思います。
多分。
でもこれって
想像力【中の上】って
良いことなのでしょうか。
実は、中途半端な
【中の上】くらいの想像力が
一番危ない気がしています。
中途半端に想像力があると
すぐに心に
《こんなもんだろう》
が出てくるから。
「やってみるべきだわ」
「こんなの意味ないぜ」
「どうかなぁ。
多分あぁなって、
そしたらこうなる。
で…うんうん、まぁ
大体こんなもんだろうね。
はい、見えました」
頭の中で天使と悪魔と、エセ占い師の三つ巴。
で結局。
手を出さない
飛び込まない
挑戦しない。
占い師の勝ち。
違う。
分かってるようで分かってない。
やってみたら違う。
思ったより楽しい。
思ったより難しい。
そんなことばかり。
▼想像力【上の上】は。
「これは経験しないと
本当の意味では理解できないな」
「これは自分の為になる」
と分かる。
から、やる。
▼想像力【下の下】は。
「えーなにこれー」
「分かんないけど楽しそー」
で手を出す。
とりあえず突撃。
やってみる。
結果的に、やる。
▼想像力【中の中】
もしくは【中の上】
この辺りが厄介。
自分がそうですが。
要するに
「俺はある程度分かってるよ」
と思ってる。思っちゃってる。
いや、まぁでも実際、本当に、
ある程度は分かっているのだけど。
だからこそ問題。
《8割理解してしまえば、これはもう10割とほぼ変わらない》
そんな状態。
「大体こんなもんだろう」と。
違う。
分かってない。
その2割に驚きが隠れている。
ここ最近「知識は経験と一緒にして身に付けるべきである」と様々な人から言われる。
「やってみる」が大事。
直接見て、触れてこそ、
本当の意味で、初めて、分かる。
大学時代、なんとなく通学路の
道端にあるラーメン屋に入った。
今まで来ようと思わなかったのは
「博多豚骨」だったから。
僕は豚骨ラーメンがあまり
好きではありません。
でもまぁ1回くらい、と思って
行って、食べたら。
美味しい!!すごい!!
豚骨嫌いの僕ですら
美味しいと感じる豚骨ラーメン!
すごい!!
一発でこんな店にたどり着いた強運!
「今回のが奇跡的に美味しいお店
だったんだろうな」とは思いつつ、
調子に乗って地元駅近くの、別の
豚骨ラーメン屋さんにも行ってみましたら
美味しい!あれ?!美味しい!!
ほぼ同じレベルの美味しさ!!
こんなことある?!
で、気付いたんですが、本当は、
僕は別に豚骨ラーメンが嫌いじゃない。
というかそもそも。
実はラーメン屋さんで豚骨ラーメン
食べたことなかったんですよね。
カップ麺だけ。
豚骨ラーメンをカップ麺でしか
食べたことなかった。
全然違うじゃないですか?
カップ麺の豚骨とラーメン屋の豚骨。
これも自分の
【中の上】の想像力のせいだな、
と思いました。
「はいはい分かってます、豚骨ラーメンなんてあれでしょ、あんなもんでしょ」って。
【上の上】ならば気付けるはず。
「お店の豚骨ラーメンは
格段に美味しいかもしれない」って。
【中の上】だから、中途半端に
想像力があるから、店に行かなかった。
「あれでしょ、あの味でしょ?」と。
【下の下】の人はどうせ
ちょうど小銭を650円しか持ってないから
何も考えずに「お、ラーメン屋あんべ!」
つって突撃して、美味しい豚骨ラーメンに
ありつける。
想像力【中の上】の人は、
多分その【上の下】まで届かない分の
想像力の無さのせいで
『自分は上の中だ』
と思っちゃうんですよね。
【中の上】と【上の下】の間に
《油断》とか《侮り》っていう
かなり大きな壁がある。
「きっとこんな感じでしょう」
「どうせこうなるだけですよ」
惜しくて、愚かで、致命的。
自らの【まぁまぁ】の想像力が
慢心に繋がるということを
こうして文字にして、
さも自覚しているかのような
アピールをしている。
多分、本当は分かってない。
「アピールだと思われるかも…?」
と思うから、こうして保険を書く。
先制攻撃。
ふと、「アピールだと思われるかも…?
という懸念が出来るのは、
もう想像力【上の下】まで行ってるかも」
なんて思ったけれど。
いや、これはもう想像力関係ない。
ただのネガティヴです。
僕はダメな人間です。
ネガティヴさに関しても
【上の中】だと思います。
多分。
でもこれって
ネガティヴ【上の中】って
悪いことなのでしょうか。
悪いと思います。