僕は「そもそも」が大好きです。
皆が「そもそも」を言いたがる。
なぜなら、目の付け所が良いように見えるから。
「あぁ!灯台下暗し!」と。
「なるほど盲点だった」と。
そう言われやすい。
頭が良さそう。
例えばこのブログの最初の記事のタイトルも「ブログを書くということ」だ。「そもそもブログを書くっていうのは…」と言ってる。客観視の最果て。「あえてそこを突くのね!」と言われたいのだ。
だからやっぱり『映画』と言う名の映画を撮りたいし、『音楽』と言う名の音楽を作ってみたい。それっぽいから。
ラジオのネタで「ラジオにネタを送る」という行為自体をイジるのも同じ。
「おいおい、ラジオのネタで『ラジオのネタ』について書いてるぜ!こりゃ、やられたな!」と言わせたい。言わせたいのだ。
思えば初めてラジオに送ったネタメール、いや1通目ではなかった気もしますが、「このガチャガチャおかしいぞ。100円入れたら何が出てきた?」みたいなお題に「100円玉」と回答しました。おに魂シールは貰えませんでしたが。
大概こういう「そもそも人間」は「待って待って!これ、そもそも何の話だったっけ?(笑)」と、盛り上がっている最中であろうが会話をぶった切る。
話題の発端、つまり会話の「そもそも」に目をつける自分の感性に酔っているから。誤解してはいけない。「そもそも」に触れることは、自分のセンスを勘違いさせる。別にすごいことではないのだと、理解しなければ。ハイセンスどころか、常套手段。
「俺はこんなところに気付いちゃったもんねー」と言いたい人が多いんですよね。「俺は俯瞰できてるんですよー」じゃねぇよ、と。
「なんと!自らそのものを言及するなんて!」なんて、思われたい。センスがあるように見える。「何周もして、そもそも、これ自体の話」じゃないんですよ。それ全然、1周目です。