小学校卒業までの約2000日間、泥まみれで走り続けた丸坊主の僕は、一度も野球を楽しいと思ったことはなかった。
今思い返せば小学一年生なんて、柴犬ほどの分別しかない。
「一緒に入ってよ。一人は嫌だから」
(誰でもいいから)がチラつく、友人Aの応援要請で馬鹿みたいに出動。なされるがまま地元の少年野球チームへ。
「嫌だ」なんて言う暇もない。
そもそも「嫌だ」と思っていない。
小学一年生なんて、小汚い柴犬ほどの分別しかないのだ。
毎週2日、土日に活動。土日に活動?せっかくの休みに?恐ろしい。
ひしめく同級生。
知らない顔。
知らない大人。
不安でいっぱいの新学期。小学校、新しい環境に慣れるのは時間がかかる。
そんな中、教室一つで手いっぱいな僕が投げ込まれた野球チーム。
よほど5つ6つしか歳が変わらないとは思えない別の生き物『小学6年生』が、ユニフォームを砂で洗い、血反吐で染め、グラウンドを駆けずり回る。
いきなり隊列を組まされ、訳も分からないままランニングとストレッチ。一体どの筋肉を伸ばしている体操なのか分からない。見よう見まねで叫ぶ掛け声が日本語なのかどうかも定かではない。
「集合!」
号令で走り出す群像。その糞になりさがり、息の上がった身体を引きずって必死についてゆく。なんだ。なんだこれは。
集まると全員が帽子を脱いで、姿勢を正す。男一人を中心に、半円状に整列。「そうか、コイツが頭だな」と潜入捜査官みたいなことを考える、暇もない。
「怖い」と思った。彼こそ監督だ。この男は今まで会ってきた大人と違う。ここでようやく自分の状況と、それが明らかに「過ち」であることに気付く。とんでもない世界に迷い込んだ、まだ乳臭い鼻垂れアリス。落ちた穴は、思ったよりも深かった。
教員免許を持たない色黒の大人が牛耳る、週末の監獄
収監されたのだ。
最初は囚人番号(背番号)すら貰えない。
望んで来た訳ではないこの環境で、技を磨き、身体を鍛え、番号を貰うために、アイデンティティーを確立していかなくてはいけない。さて、僕のモチベーションはどこだ。
僕はどうやら運動が得意な方ではないらしい。当時から一番好きなのは「絵を描くこと」だった。絵画教室にでも入っていればよかったのだ。趣味嗜好も、進学先も、顔も性格も、今とは違った未来だろう。
ザッと6年間のハイライト。
グローブを買った。
友人ができた。
バットを買った。
試合が苦痛だった。
でも移動の車は楽しかった。
エラーをして怒られた。
ヒットを打って褒められた。
ホームランも何回か打った。
僕のヒットで勝った試合があった。
僕のエラーで負けた試合があった。
試合が苦痛だった。
上手い後輩にどんどん抜かされた。
代打すら嫌だった。
ずっと球が怖かった。
グローブが無いフリをした。
体調が悪いフリをした。
色んな小さい嘘で野球を避けた。
でも6年間続いた。
1度も野球を楽しめなかった。
野球チームでの経験は、今も残る強い劣等感の根源かもしれない。
週2日の自己嫌悪。6年あれば充分な量だろう。自分ですら想像もつかない。
何故か結局一年遅れてチームに入ったAくんに、あっさりと実力を抜かされる気持ちが分かるだろうか。ストレスには充分な「あいつのせいで」という怒りに、漆のように「劣等感」が塗り重ねられる。厚ーく厚く。熱く。
『下手』なのだ。
これはどうしようもない。ミスを親に慰められ、涙目でヘラヘラと笑う。同級生と後輩の活躍に、生のない応援を捧げる。試合に負けてもなんとも思わない。「出番なくて良かった」と胸をなでおろすだけ。
否が応でも練習はしている。自宅の駐車場で何千回もバットを振ったりもした。手の皮が剥ける。誇らしげにテーピングを巻く。それでも結果に繋がらない。『下手』なのだ。まぁ、ずっと当たり前の事を言っている。「報われない努力がある」、「報われない人がいる」と。人には向き不向きがある。
チームから卒業する日。コーチや後輩、父兄からのメッセージが書かれたアルバムを貰う。父からの「よく辞めなかった。」という言葉に号泣した。
こんなに救われる言葉もない。僕が6年間で出来たことといえば「辞めなかったこと」ぐらいだ。こんなに泣くか、というくらい泣いた。恥ずかしいので、部屋でひとり。
マイナスばかりではない。
「続ける大切さ」は得た。
ただやはり代償が大きい。まだ若く、柔らかかった精神の奥深くに『劣等感』という杭が突き刺さり、根を張ってしまったのだ。今の僕を形成するにあたって、小学校の6年間がいかに意味を持っていたか。痛いほど実感する。
電車の中でこの間ふと、手を見た。懐かしい、ヒリヒリする赤紫色。皮が偏り、変形している。重い重い就活用のバックを長時間持っていたせいだ。
その手が、痛みが、バットを振っていた昔の自分の手と重なる。
「同じだ」と思う。あの時と同じ。ただただ報われないゴールに向かって、僕はスーツを着て、自己PRをして、頭を下げる。集団面接という『劣等感発生装置』でもがき苦しむ。あとは同級生の内定に向けて生のない祝福を捧げるだけ。一緒。全く同じ。
なんどもバックを握り締め、手を赤くし、「あの会社、3次面接までいったんだぜ」と誇らしげにテーピングをするのだろう。
『下手』なのだ。
どう見ても胸糞悪い、鬱々とした、暗いオチに帰着しそうな文章だけど、違います。
もう違う。もう僕は『選べる』んですから。就職活動は監獄じゃない。看守も、監督も、6年生も居ない。好きなことをします。多分、大丈夫。とりあえず、後悔しないように頑張りますから。今までの自分の歴史全部フリにして、いいオチ考えます。皆さんもそうしてください。嫌な事とか、トラウマとか、全部糧にしちゃって。何でもありです。頑張りましょう。なんとかなります…多分。ちょっと思ったより恥ずかしい文章になりました。以上です。綺麗事の巻。