タイスシタニック | 梯子ダルマ オフィシャろうブログ

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ラジオネーム:梯子ダルマとして深夜ラジオにメールを送っていた、現在放送作家として働く26歳の男が書くブログです。

思ったことを書いて、賛同・誹謗中傷などの反応がきて、コメントがきっかけで会話をしたり、そんな交流が嬉しいです。

年間50本ほど、映画館で映画を観ます。良いですね、大スクリーン。音響。微かに香るポップコーン。「映画を観た」だけじゃない、「映画を観るという体験をした」そう言いたくなる感覚。映画館を出たら、家に帰りながら感想をメモします。どこであれ映画館に行けば、家までの“帰宅時間”が発生する。そこで浸りに浸る、余韻に。そして感想を整理します。僕にとっては全部をひっくるめて、映画館で映画を観る、ということです。


映画館での鑑賞と自宅でのDVD鑑賞は、度々比較されます。

「内容は変わんねぇじゃんか」
「大スクリーンが良いんだよ」
「家の方がリラックスできる」
「映像の迫力が全然違うんだ」
「レンタルした方が安く済む」
「良いものにはお金を払うさ」
「いつだってトイレに行ける」
「2時間ぐらい我慢は出来る」
「特典映像とかもあるからね」
「ぐぬぬ…」

最後負けちゃった。

まぁまぁまぁ落ち着いて、と。どちらも映画好きには変わりないじゃない。僕だって、年間もう50本は自宅でのDVD鑑賞です。


映画館での鑑賞には『映画体験』とでも言いましょうか、そんな魅力があります。全身で、映画を観る。イヤホン繋いだパソコンで観るのとは違います。では、DVDでの鑑賞における特有の『体験』はあるのでしょうか。

ポイントは「いつだってトイレに行ける」だと思います。要するに「いつでも中断できる」。『区切り鑑賞』が可能なのです。

これこそ、劇場での鑑賞にない特徴。例えばトイレじゃなくても、映画を途中で止めて、友達と電話で世間話をして、鑑賞をまた再開する、こんな行動が稀有な『映画体験』を引き起こす可能性があります。

演劇みたいですね。一幕とニ幕、ニ幕と三幕の間に休憩が入る。ただ映画監督は、休憩を入れられるような“区切り”を作りません。そんなの想定していないし、「なんだか一貫性がない」なんて言われてしまう。トイレ休憩などやむを得ない理由以外でわざわざ鑑賞を区切り、それが『良い映画体験』となる確率は、限りなく低い。


この前やってみました。区切り鑑賞。やってみました、というか、偶然そうなった。不可抗力。たまたま。

作品は『タイタニック』。なんだかんだで一度も観ていなかった不朽の名作。

もう最高。

何故今まで観ていなかった。


堅苦しい生活に縛り付けられていたお嬢様が貧しい絵描きの青年と出会い、未知の世界の入り口に立つ。気付けば彼らは互いに惹かれ合い、家のしがらみに抗いながら、愛情を深めてゆく…。


紛れも無いラブストーリー。レオ様演じるジャックが本当に魅力的。良いなぁ~。ラブストーリー良いなぁ。


そしたら、船が氷山に接近!まさかの!いや、もちろん分かってはいたけれど。あんな素敵な恋模様を見てしまっては、バッドなエンドは考えたくなくなる。「分かんないけど、奇跡的に氷山避けろ!駆け落ちして、幸せに暮らしてしまえ!ここで終わっても、もう恋愛映画として充分だ!沈むな!沈まないで!」と、思ってしまった。


そしたら掠るんだー、氷山。あぁ、なんてこと…。徐々に浸水してゆくタイタニック。あんなに僕らを甘酸っぱい気持ちにさせていたタイタニックが、パニックムービーへと徐々に姿を変えていきます。


ここで「外食行くよー」と。セリフじゃないですよ。僕のお母さん。なんと、外食。今から出かけなくては。再生を止め、家を出る。


回転寿司屋に。恥ずかしい、また回転寿司。ついこの間行ったのに。もちろん普段他の店でも外食してますけどね。これもたまたま。


番号札を取って、待合スペースで座る。


突然、「顔、怖いよ。暗い。」と母から言われました。

「アンタは何にも分かってない。」と思いました。


そりゃそうですよ。僕が呑気に回転寿司屋で順番を待ってる間にも、タイタニック号は沈んでいってるんですから。気が気でないです。僕の心は、まだ映画の中にあります。ジャック、ローズ、どうか無事でいてくれ。ピンポーン。呼ばれました。テーブル席に向かいます。


つぶ貝やらハマチやらを食べて、あさりの味噌汁を注文。なんか店内の冷房強めだし。美味い。沁みる~。


そして、申し訳ない。僕だけが温まってしまって。だってジャックとローズは大西洋の沖で寒さと戦っているわけですから。何を呑気に寿司を食べているのだ。僕が海老天寿司に塩をかけている間にも、船客は塩水から逃げ回っているというのに。




外出から一時間半ほど経った頃でしょうか。僕の頭は「デザートはチーズケーキにしようか、ミルクレープにしようか」でいっぱいになっていました。映画の中にいた心が、寿司屋に戻ってきた。もうタイタニックのことは考えていません。いや、考えていないわけではないですが、鑑賞中の僕にあった“熱”は流石になくなっていました。チーズケーキを食べる。


帰宅。「さてと。あぁ、そうだった。映画の続きを観よう。」こんな具合。スウェットに着替えて、続きを再生。寿司でリフレッシュしてしまった僕の目の前で、パニックムービーがスタートしました。


手に汗に握る。海猿顔負けのウォーターパニック。何度も何度もジャックと共に、息を止めたりして。


ついに沈没。そして死別。

手を離すローズ。
沈んでゆくジャック。

涙が止まらない。

スケッチをする彼の真剣な目が、フラッシュバックします。




ここで少しだけ区切り鑑賞が功を奏した、ような気がしました。


考えてみれば、彼らは出会ってから日が浅い。急激に接近し、急速に愛を育んだ。

そんな二人の別れで、僕らは彼らの幸せな日々を思い起こす。短いような、長いような。愛がギュッと詰まった数日間。つい最近なのに、出会ったのは遠い昔のよう。遠い昔のように感じるのは、ラブストーリーからのパニックムービーというギャップのせいでもあるかもしれませんね。


そしてここで!僕にとってのタイタニックの“ラブストーリー部分”は、物理的(?)にも“昔”なんですよね。寿司屋に行く前、ストーリーの中ではなくこちらの世界の時系列的に、二人のラブストーリーを観たのはかなり前の出来事なわけです。

この時間の厚みにより“幸せな日々の想起”という行動、「懐古」の強さが増す。昨日の晩ご飯を思い出すより初めての離乳食を思い返す方がロマンチックです。振り返るなら、より過去の方が良い。


二人にとってほんの数時間、数日前の出来事も、遠い昔に感じられる。それほど凝縮された、濃い愛の時間。この「思い出が遥か遠くにある」感覚を味わうのに、区切り鑑賞が一役買っていたようにも思いました。「より愛の深さを感じられた」と言っては、言い過ぎかもしれませんが。




まぁ、無理やりですね。無理やり褒めてみました。映画をじゃないですよ。区切り鑑賞をです。映画は素晴らしい。

そもそも必要なければ、わざわざ途中で止めようとも思わないし。止めたくないし。当たり前だけど。

ただ「DVD鑑賞はクソ」と言われるのは悔しい。自宅でリラックスして観れる、好きなところを何度も見直せる、好きなタイミングでストップしてトイレに行ける、そういったところ意外で、特有の魅力を見つけられたらいいな。なんなら「この作品に関してはDVDで鑑賞するべき」とすら言えてしまうくらいに。


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