ペテントーク | 梯子ダルマ オフィシャろうブログ

梯子ダルマ オフィシャろうブログ

ラジオネーム:梯子ダルマとして深夜ラジオにメールを送っていた、現在放送作家として働く26歳の男が書くブログです。

思ったことを書いて、賛同・誹謗中傷などの反応がきて、コメントがきっかけで会話をしたり、そんな交流が嬉しいです。

悩みがあります。

去年の年末に入学したドライバーズスクールへ現在全く通えていないことです。合宿にすれば良かった、と強く反省しています。いつでも行けるという自由な環境は、甘ったれの僕をなかなか家から出してはくれません。まだまだ僕は強制されないと、鞭を入れられないと走り出せない駄馬なのです。ただラジオを聴いて、絵を描いて、映画館に行って、たまに友達と飲みに行っています。


最近飲み会の場は楽しくて仕方ないです。僕は人と話すのが大好き。ここ1年でようやく気付きました。ただ飲み会と言っても、大きな声を出すだけで楽しいと感じられる輩が好むような空虚な集いではなく、静かに話が出来る場。お酒ではなく会話が目的のものです。交わす他人の意見に新鮮さを感じ取ろうとビンビンにアンテナを張っていれば、退屈な時間なんてなくなります。


興味がないような話でも、自分のレーダーに引っかかるまで「どういうこと?」と掘り下げてみる。

分からないなりに、自分の得意な領域からフォーイグザンプルを引っ張り出してきて「つまりこういうこと?」と投げかけてみる。

相手の言いたいことが分かったとしても、具体例や経験談が飛び出すことを期待して「つまりどういうこと?」と疑問の姿勢を続けてみる。

「学校」や「会社」などにまつわる一般的なあるある、ピンポイントで相手と確実に共有できる狭い範囲でのあるあるを予め準備しておく。

前もって自分なりの正解を用意した状態で「どうすればいいと思う?」と相談をしてみる。

話したいエピソードがある時は自分が話す前に、相手も同じテーマのエピソードを持っているかどうか尋ね、会話の一連の流れを膨らませてみる。

おとなしい人とはまず「嫌いなもの」というテーマで話を聞いて、そこの共感から会話のエンジンをかけていく。

素晴らしい意見は頭にメモをさせてもらい、別の話の場で引用してみる。

異なる人に同じ話をして、その反応の違いをまた「反応が違った話」として、その話のエピローグにしてみる。

少し中だるみした空気の時には「嘘だねそんなの!!」や「マジかよ!!」などと無理やりにでも大きいリアクションを差し込んで、緩急をつけてみる。

あえて明らかに行き過ぎた極論を提示して、それへの反論や訂正を募る形でその場の会話への参加率を上げてみる。



こう書いてみると自分が天才アマMCかのように見えてきました。いえ、皆さんからすればおそらく無意識のうちに出来ていることばかりでしょう。僕みたいに意識しているうちはまだまだです。リラックスしているようにみえて、実は気を張っているということですから。




では、僕にとって《話す》とはなんだろう。「人と素敵な関係を築き上げるためのツール」でしょうか。少し違います。

おそらくですが、僕にとって話すという行為は「誤魔化し」です。言い訳、とも言えるかもしれない。自分を、そして相手を誤魔化す。



僕はどれだけ笑っていても、どれだけ本心から楽しいと感じていても、心の奥底には常に「独りでいたい」という気持ちがあるのです。楽しい飲み会では「いつまでも喋っていたい」と本心から思いますが、それと同時に他者と関わるストレス「帰りたい」という気持ちが僅かに、確実に存在しています。


「本当は人と話したくなんてない」という気持ちから目をそらす為にたくさん話すことで自分を誤魔化し、且つ、そんな自分の気持ちを悟られないように言葉をいくつも並べ立てて相手をも誤魔化す。ピリピリした空気も、険悪な空気も、言葉は全てを誤魔化してくれます。ラジオがついているだけで、タクシーが気まずくないのと同じです。話すことで僕は常に環境をより良い方向へ、角の立たない方向へと変えようとしているのだと思います。



だからこそ辛いんですよ、ドライバーズスクールが。



車という逃げ場のない状況、教える側と教わる側という1:1のヒエラルキー。丸腰の僕には言葉という武器しかありません。なんとかして良い空気の中で技術を学びたい。


しかし、ここに教官の悪質な高圧的態度が加わることで、僕から《話す》という選択肢は取り上げられてしまいます。誤魔化しが効かなくなる。このストレスから僕は逃げ続けているのです。精神的にキツい。


『君、なんか頭良さそうだよね。』
「え~そうですかね?いや、それってあれじゃないですか?僕がただ単にメガネをかけ」
『はい遅い遅いハンドル回すのが。さっきも注意したよそれ。覚えなよ感覚を。』


僕には耐えられません。まぁ耐えなくてはいけないんですが。早いうちに行かなきゃなぁ、お金も払ってるし。はぁ~あ、やだやだ。高圧的な大人、大っ嫌い。


《話す》だけでなく、これは《書く》という行為にも通ずるところがあります。ダラダラした長文の原動力は、言い訳です。長さで誤魔化している。男らしくないので、今回はこの辺で。