かつて、哲学者、フーコーが吉本隆明との対談を経ての後、ふたりの往復書簡に関係してその際に仏語の訳を担った蓮實重彦の、ベルギー出身のご夫人が吉本隆明を「このひと、頭悪いんじゃない?」と、フーコーか蓮實重彦か、どちらかに言ったんだ。そうらしい。とにかく、それだけがきっかけで次を書き出すことにした。

 

フーコーの吉本隆明評は、とにかくうやむやらしい。

それにしても、とにかく、書き出すきっかけは、日本語哲人と仏語哲人だしな、とそこだ。

 

私は、幼い頃、家族の中にあって、まったく未知である外国人という人々に親近感を寄せる想いがあった。家の中では、テレビに映る黒人を、祖母などは「くろんぼの子はかわいい」と言うのを、私は傍で聞いているから同じ口調もそれなり、「外国人」とは見ず知らずでありながら親近感も偏見もあったかと思う。それよりも、家の中にいながら、外国人であるとはこういうことじゃないかな?みたいな、想像上の外国人のイメージを密かに育んでいた。

 

フーコーは哲学者であり、そして、日本人にとってはフランス人というよりもまず外国人であるのだから、そうだったとしたら。フーコーにとって、日本人は日本人としてではなく、同様に吉本隆明を日本人としてではなく、まずは、「外国人」だったとしたらを考える。

蓮實重彦のご夫人の発言を知ることになった日本人は「頭が悪いのは、(あわわ、彼の吉本隆明を・・・なんつうことを、と。)あわわ、こっちのほうだ」と、少なくとも、赤塚不二夫みたいな人や、もしかすると浅田彰だとかが、哲人銃口みたいな、その外国人が放つ言語攻勢の矛先を自分に向けさせる事を、そんな行動を実際にとらなかったのは当然、だとしても、直裁に「吉本隆明に代わって私が言いたい」と打って出るのを自分自身が想像してみることがあったのではないだろうか。

という経緯を想定して、第三者の介入を、そういう想像をしてみることにした。

「頭が悪いのは、(何その唾液分泌過剰な、フレンチ料理食べ過ぎ味蕾たっぷり舌でもって、何なの?!ひどいじゃありません!?(水すましのセリフ)と、)そっちのほうだ」と取って返すのではなくて、なぜだか、「とばっちり」とか「やぶへび」とかの言い訳のセンで行くフェイント、予想のつかない方向を向いて、しかしこっちにはさしずめパスする当てがなさそうなので、まずは自分に向けさせる。その理由は、自分が、自分自身の性質を暴走させないために。

 

私は、「外国人」という言葉のイメージに自分を重ね合わせることを幼い頃からしていた。成長するにつれて、「私」はますます十分に質実とも日本人として育まれ「日本人」になっているはずだから、そこで「私」=「日本人」と大きく括るとする。

日本人は、自分の性質を暴走させないために、あらゆる手段の中から「外国人」を選ぶのだろうかと、仮に考えたのだ。

その基点は、極の芝居の台本にはよく出てくるパターンでもある村八分の指向性と関連して、再考させてくれるとみた。村八分自体の良し悪しではなくて、それは「罪悪感」に連関するのではなく、「罪責感」と、罪責感を免責するために動員されるという指向。

 

成長するにつれて、比較文化論という方法も学んだものだが、論理の訓練としての比較文化論とは趣向が違う。外国人とは触れ合う機会がまずなかったのだから、内面だけひと知れず外国人化みたいなものだ。真摯に、自分と日本の家族制度との兼ね合いの中で培ってきた方法。

 

フランス人フーコーにしてもベルギー人にしても、日本人を指してその人、吉本隆明を、そして日本人全般についてを、仮を想像してみると、中国人だと勘違いをしていたかもしれない。ご夫人の旦那様が蓮實重彦なのだから、そんな勘違いはあり得ない。でも、観念の中には旦那様とは異質な「外国人」が、うっすらと拭い去らずに居座っていたとか。

漠然と「外国人」にされてしまったがゆえに、なんとなく中国人と勘違いされたままであったとか。

フランス人フーコーとベルギー人の頭の中、漠然とした「外国人」が日本人ではなくて中国人だったなら、それでは何がどうなるのか。五里霧中をさまようと思われてくる。

とすると、そんな錯誤があったとしたら、フーコーだったなら、何度となく頭の中で訂正しつつ対談などに臨んだとしても、なぜだか元の勘違い、中国人にもどってしまう。(Oops, désolé désolé と心の中で言いながら。)

そういうことってある。

(カナダのトルドー首相は、あるスピーチで日本を中国と言い間違えて、そのままうやむやになった。トルドー首相は、他人からは見えないところで、やはり日本国を中国のどこかだと再々勘違いし続けるように思えてしまう。)

 

「外国人」に対して、日本人には日本人なりの、長年のあいだ曖昧なままにしておかれた共有される認識があるはずだ。

そういった場合に、日本人の性質上、言語に対しても特に構造よりも性質に敏感で、性質を伝達し認識するように、外国人と知っただけで、内面に何かを起こすようなことがあったはずだ。

 

海外では、日本人は、出会うと最初には、たいがい中国人と間違えられるという。

日本での「外国人」が、よそもの、または訪問者、エイリアンめいた認識であるのと同じなように、「外国人」という捉え方が、個人的ではなく、一定の「外国人」のニュアンス(バイアスというのですか。)が既に確立して在るのだとしたら。

(重複して言っていますが、私は「外国人」という言葉によって、よそものの存在感を内面化する方法を得ていたのだったと思われる。「本当か?」と問われるなら「近い」と応えるでしょう。)

 

非情な真面目さで行われた茶々入れが、もしも実際に有ったとすると、当の矛先は別な結果を生じさせる。哲学者と哲学が中心だから、別な哲学に準じた議論になり得たはず。でもそんなことは何にも記録されていないので、無かったんだ。

双方が「外国人」同士であるということは、想定外の事態。頭の良い悪いを言ったの言わないのだなんて、どうしてそうなるのか。

「外国人」は理解しかねるとして、何らかの茶々入れ(闖入者であるとか飛び込み発言みたいな。)の予見が記憶と言語構造の頭の中で、空白として、先に無意識に準備されていたのではないか?双方が頭脳明晰な頭の中には、未然の未遂形とでもいえるような。(それを言うなら「先取りする」という脳の働きのことでしょうか。)

人の思考、脳の働きには、自他の区別のつきかねる想像を入り込ませる、余白みたいな隙が、生じる。無意識の領域は、予測不能にして突然の空白の発生だから、アトランダムに考えられることを考えてみることができる。

そして、結果はというと、空白が調整役を果たして、位置を決めかねていた「このひと、頭悪いんじゃない?」なる、(どこで発言されたのか?どこで拾われた発言なのか?が)不確かなエピソードが、一連の流れの中の最後の位置に収まることになった。

何らかの事象があったとして、何らかの事象に何らかの接触があるということは、その国の言語構造、たとえば日本人には馴染みの薄いが、英語圏などの時制であるとかの。外国人にしてみると、日本語での、対象となる人物への敬語などを、当の話し相手の属性に合わせて変化させる多彩さなど。言語の構造が、言語自体を操る。意識が先か言語が先か、みたいな。

記憶というのはそうらしいのでは?と思えます。

 

左から右へと時間軸を図示するも、そうそう時間の順序通りに図られるとはいかないことが、まれにあるのでしょう。

脳や心理学、精神医学からすると、こんなに長々と私が説明に費やしても、まるで神秘現象を言いくるめたトンデモに思われるかもしれないでしょう。けれど、40年以上前の史実に記憶された出来事を解釈してみると、起きた出来事と未遂のままの出来事というのは、件の記事にあった解説の通りであるのと同時に、未然の可能性は記憶にしまいこまれて、それもそのままに存在する。それもまた記憶のひとつであるのではないかと考えるわけです。

(書簡に関わる出来事について、フランス語と日本語の構文の差異による、両者にとってのアタマの中の変換の時間差に、フーコーは耐えられなかったのではないか?アタマの中はカーネルパニックみたいな状態で。そうではない、公式に残る観点をとらえて、両者の言語構造の違いではないか?という意見も少しは読んだ。)

 

頭が悪いだの良いだのの篩に反応してしまうとすると過剰かもしれない。だとしても、その言語攻勢の矛先は、そこの篩だろう。(なんだかそんな気がする。)と考えたなら、いち哲学者の思想と思想を了とする以上に、反応してもよい面だったのにな、と私には思えた。なので、日本語世界であったなら茶々入れという展開もあっただろうにな、と考えたのだった。

 

「外国人」である、という立場に依拠する仮説を考えたのだった。

それは、もしかすると怪物の前身としても、分析的に少年像に立ち入って考えられる仮説ではないかと、考える。

 

杉舩さんが少年役として3作目になる、熊の前身として打たれた芝居は、駅裏8号倉庫のファイナル・イベント参加であったので、それも印象深かったものだ。『ハレーストレインあるいは七月の麦畑』1986年である。

舞台となるそこの空間は、精神病院かあるいは閉ざされた精神病棟という設定。

精神病という言葉を数箇所のセリフで表しているだけで、登場人物が変容してゆくわけではなく、人物に貼りついた精神病の様相が顕れて来ることではないのだけれど、『ガラスの海 砂の雨』では原発が主軸であるように、ここでは、精神病が主軸となって芝居世界を切り盛りしている。

しかし、フーコーの説にある、「狂気」であるとか「パノプティコン」とは連関するところはひとつもない。

 

精神病院が舞台の映画か、演じる人々が全員精神病院の患者であるという映画があったはずで、(私は観ていないので想像ができない。)確か、フランス映画ではなかったかと思う。

1978年のフーコーと吉本隆明の対談を芝居のヒントにしてみるとか、そんな連関への接触を座長や劇団員が模索する気配も皆無だった。劇団でフーコーの名前を一度も聞いたことがなかった。

かつて、1976年頃の北大演研を牽引し、同時期に劇団極で少年役をこなした阿部さんは、1986年当時から既に現役の精神科医で、当然ながら、精神病については大変センシティブな話になるので、たまにお会いしても、イメージに寄りかかってしまいかねない曖昧な話、芝居の中の精神病について話題にすることはなかった。

 

こうして、日々と時間が過ぎてゆく。

覚えていることがどんどん遠ざかってゆくと、『ハレーストレインあるいは七月の麦畑』で表象された精神病と、実際の精神病というのは、区別されなければならないとは、あらためて思えてくる。

それは、フィクションを舞台に上げるのだから、現実に対する差と区別というのは、現実の精神の病いとフィクションで描かれる精神の病いがここは同じだ、ということが一つのシーンやセリフであったとしても、セリフ・シーンによって見出せられるのだったなら、そこの相同である事実によって、ある人にとっては幻惑をもよおすことだったり、ある人にとってはPTSDを発症するだとかがあるのなら、現実とフィクションとの区別は、そこにはなかった、ないと言われなければならないだろう。しかし、肝心なこととは、表象であることによって、または表象であることのために写真や動画のように、切り取らせるのだ。切り取りだけが現実とフィクションを区別させている。この芝居には、その意味で切り取りがあったのだと思う。そこは、ものごとの本質を担う忌み嫌われることを含ませての、澱と輝きを再認識させる。

精神病は、芝居においては切り取りの手段であったのだろうか、それだけだっただろうか。と、逡巡させられる。

 

芝居は、動画で残っているわけではないので、もう想像を巡らす記憶によってしかない。新江一志さんと帯野郁乃さんに作曲してもらったオリジナル曲がテープに残っているのと、公演本番中に写された写真のコピーが 1枚。この数年後に、小林重予さんのアイデアで、脚本が、小冊子ながらタイトル字を尾市有成さんによる筆文字の表紙本で、値段付きで印刷されたのが残っている。

 

異常事態のさなかである精神病を、各シーンはあくまでイメージとしての心象と、実際、治療を必要とされる、病みながら存在する心との違いがあるものを、1986年から遠ざかると、ますます不思議なくらいに思うことになる。なぜ、モチーフに精神病があったのだろう?

当時は、そのことにはあまり気を取られることがなかった。そうすると、それらがなぜそうだったんだろう?と思えてくる。

役者である私たちや、芝居公演があるごとに関わってくださった方々を惹きつけたのは、まずは橋本一兵の台本だっただろうから、オリジナルの台本があるということ、そのことが自由を指して、それは何か?といつまでも呼びたくなるほどの曖昧さに依存し、確信がないからこそ、自由のような感を感じさせていただろうか。時として、日本語として文法を指摘されて、目の前で、立ち稽古を進めながら座長が書き直す姿もあったし、そのままヘンな日本語でセリフを喋るのが楽しかったこともあった。時として、まれに、ほんとうに時として、演じることのあの楽しそうな様子。

誤解をされることにはなるけれど、モチーフとなる精神病のどこか何かに自由を見出したのだろうか。

稽古中に、笑えるシーンはそれは楽しく皆が盛り上がって笑ったものだ。笑って楽しむシーンは、台本だけではなくて演出上でふんだんに盛り込まれていた。演出家として、滝沢さんのウケることへの情熱はハンパなものではなかった。

(現在の人形劇団で、人形を扱って笑わせているとは想像ができないけれど。)

北星学園演研の皆んなが、(誰の紹介でやってきたのか忘れてしまった。)揃って稽古場に来ていた。ミヤコさんも、一緒に稽古をしていた。『ハレーストレインあるいは七月の麦畑』は、比較的登場人物が多かった。

 

ジャコビニ流星群は前年の1985年だった。

台本が、どういう進行でもって出来上がっていったのかは、ほとんどを忘れてしまった。

音楽録音のように、テイクを記録する、変化などの記録に目をこらすという人はいなかった。

たぶん、滝沢さんは稽古しながら合間合間に、役者が狭い畳席に肩を寄せ合うように座り待機する傍で、ワープロを打っていただろう。深夜に稽古が終わると2階に上がっていって書き上げたのだと思う。私が楽曲や効果音を、レコードや元テープからオープンテープに録音するのに数日間泊まり込んでいたとすると、大音量でスピーカーから鳴らしているはずだから、そんな時に滝沢さんが2階にいるはずがない。どうしてたのか忘れてしまった。けれど、いつか、また思い出すだろう。

記憶と再会する、再び記憶のものにする、これもこの芝居のテーマだったに違いない。

 

        流れ星が飛ぶ(ト書)

金平   「お願いしたか」

人魚姫  「速すぎる」

赤ずきん 「どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ?」

ハッチ  「あっち」

津島   「先生、こんな事をしていたことを、僕は思い出すでしょうか」

金平   「皆、覚えていられるか?」

一同   「覚えているとも」

 

「悪」であるといえるのは、少年が犯すたったひとつの過ちだ。魔がさしたとしか思えない、セリフが明少年の口からもれる。「パラコートでも入れたら楽しいだろうけどよ」

(セリフを追ってゆくにつれ、未遂だったんだなと察することができる。)

「悪」を、教唆する登場人物もいなければ、本物の鬼になって追いかけてくる登場人物も出てこない。ということは、やってしまった罪を、それはどうしてか?と検証したり省察するのが本題ではなかったということだ。

芝居が進行させるシーンは、全編が幻想シーンともいえる。デパートのバーゲンセール売り場の喧騒、おとぎばなしの人物たちが集う小学校、本名津島修治の名で自分を語る太宰治、白衣を着た宇宙飛行士の毛利さん、そして素早いカットシーンのように随所に時々現れる、少年の幼なじみの幸子(さちこ)ちゃん。場面の展開が速い。ラストシーンは、舞台そのものが崩壊する(煉瓦壁を模した発泡スチロールのブロックを崩落させて、明少年の内面の崩壊も暗示させる。)ラストシーンだけが、急速な時間軸の転換点として、仕掛けられている。

といっても、ラストの数ページが急展開してドンと終わるのではなくて、幸福のコウ子ちゃんが掃除しながら現れる、日常の生活感のあるシーン、幻想の異界の人物たちが今も生き続けると暗示させるシーン、死なない少年が背景にとけてゆく様子が、ドーン・・・ドーン・・・ドン、ドン・・・ドーーーーォォォン(完)というふうに、最後のト書きが「船の汽笛、カモメの鳴き声、デパートの騒音、光、少年が光の中にいるのかいないのか、誰にも分からない。土煙の中に形ある物が吸い込まれてゆく」と、描かれることになる。

(「物」になっている。校正しているはずだから、作家の意図だ。「自我もまたオブジェなのだ。」とする考え方をどこかで読んだ。「すべての事物は幾許か「自我」であり「私」である。」(『間隙を思考する』14章より引用)田崎英明は別の章で、演劇=objectについてを書いている。)

 

「分からないけど、好きだなと思える芝居だった」と、新江さんは打ち上げの時に稽古場に来て言っていた。

怪物らしからぬ怪物。少年の、どこに怪物が?と思えるかもしれない。

 

全編の幻想を幻想のままに支えるのは、罪責感だ。

少年は、勝たなければならなかったからだ。

重責感のうちに、勝たなければならなかった。「次こそ勝つ」と挑むごとにシーンが展開する。その展開は幻想の様相をゆるめない。明少年は言う「まだ一回も勝った事ないんです。きっと打ちのめされても打ちのめされてもリングの上に立つでしょう。ボクサーをやめる時は船出をする時です。帆を一杯に張って、面舵一杯!」

「努力したって勝たなくちゃあね」と赤ずきんが言う。「勝たなきゃダメよ。空気とは違うのよ。熱いのが上、冷たいのが下、強いのが上、弱いのが下。くやしかったら勝ってみろ!」とハッチが言う。「そうかそうか、パンチ一発くらいは返しただろうね?」と金平が言う。明少年の分身と化した皆が、言う。一同が言う「おかえんなさい」ボロボロに憔悴しきった明少年が言う「僕は勝ったのですか、負けたのですか?」

赤ずきん 「残念ながらKO」

少年   「勝ったのですか、負けたのですか?」

赤ずきん 「だからねっ、残念でしたっ!」

少年   「船はどこだ」

 

芝居は、ストーリー自体はバラバラなのではなく、全編を幻想のストーリーだとする見方もできるし、現実感のあるシーンが幻想と混ざり込んで変容していくストーリーという見方もできる。ストーリーのひとつが進行していくあいだに、もうひとつのストーリー性のあるプロットを並行して進行させるシーン、お父さんと娘の幸子のシーンというのもあった。8号倉庫舞台だったので、地面、中二階、空中と、空間を縦横に使えるよう、演出の滝沢さんの頭には、舞台設定が先行して考えられていたのだろう。

 

少年   「ここはどこだ!」

赤ずきん 「ここはここ。ガリバー、あなたが想う所、つまり・・・」

ハッチ  「バンケイ小学校」

人魚姫  「薄汚い3畳間」

森の美女 「デパートの催し物会場」

津島   「風呂屋」

赤ずきん 「精神病院」

人魚姫  「ミステリー列車のプラットフォーム」

森の美女 「かもめの飛ぶ波止場」

赤ずきん 「ハレー彗星あるいは七月の麦畑」

少年   「幸子ちゃあん」

 

芝居は、幻想をイメージとして焼き直しができる、留め置いたままにすることができる。現実には、進行する幻想と人格が崩壊してゆくのを止めることができない。

 

金平  「幸子さんに会えるといいですね」

一同  「幸子さん?」

金平  「幸福の幸の幸子さん」

森の美女「幸雄(ゆきお)じゃダメぇ?」

金平  「幸福の子供。これから、子供から大人の幸福を見せてくれるかもしれない」

森の美女「幸雄のほうがいい」

金平  「ミケ、幸子は男でも女でもなく」

一同  「男でも女でもなく?」

人魚姫 「人間なの?」

金平  「さあ」

赤ずきん「フランケンシュタインだよ、きっと」

森の美女「もしかして、私の赤い糸には、幸子さんが繋がってるのじゃないかしら」

赤ずきん「ミケは、ドブのはめ板に繋がっとるんじゃ」

森の美女「アサの赤い糸切っちゃる」

赤ずきん「何をするんじゃ」

金平  「明は?」

人魚姫 「学校、今日も休みました」

ハッチ 「『ガリバー旅行記』また読んでるんじゃ」

森の美女「あいつ、学校休んでるほうがええ、学校に来たらスカートの中覗こう

     とするんじゃ」

ハッチ 「ワシ、パンツ取られそうになったんじゃ」

赤ずきん「明は泣いとるんじゃ、見たんじゃ、ワシ」

ハッチ 「デタラメ言うな。カッコばかりつけてる奴が、何で泣くんじゃ」

赤ずきん「・・・泣きたいからじゃ、泣きたい泣きたいと血が騒ぐんじゃ」

 

自分自身を気に掛ける自分が現れる時、その優しさは、舞台上のたったひとつのシーンであっても、あるいは現実に起こりうる幻想であっても真実であることにはちがいない。そのはずだ。現実には、そんな機会は絶望的に少ないのだろうから。

ひとが自分自身を気に掛ける自分に出会うのは、本当は、数少ない機会しかないのだ。

 

(つづく)