2年間の役者鍛錬と劇団稽古場の引っ越し、移動の間は、劇団と役者にとっては演技論的転回の着々と回る歯車が動いていた。

その移動中である一コマ、南区澄川にあるビルの一室を数ヶ月間間借りして稽古場としていた時期に、私は何の用事だったのか忘れたけれど、差し入れつまみ食べ物をレジ袋に入れて持って訪れたことがあった。

短い数分の間、数語の言葉を交わしてから私はそそくさと引き上げた。薄暗い中に、特に何という感慨も思い浮かばないだろう私の顔を認めて「ああ」だか「おお」だか言って、ミヤコさんか金子さんか、何人か顔を上げるのが見えた。何人かが視線をこちらに向けて、それでもさっと手元の台本に目を落として、何かボソボソ呟いている。セリフチェックをしている、俯いた姿が思い出される。何ということもなく、その数分の間にも、それまでにいつも見かけていた稽古中の姿に、皆が戻っていた。

役者にとっては、演技論的転回の日々だったのだ。

稽古現場にいなかった私にとっては、別な次元とでもいうべき「心的表象」から探られた幻想論的転回でその一件は歯車を、回し続けている。つまり、回る歯車は「なぜ?」が幾層に積み重なっても重たくもならない。そこでは〈コンテンツ〉という発想が起こりえない、コンテンツを知らされていない空間、孤立した空間。劇団とは別の、劇団が稽古中に重ね塗りしてきて培った「イメージのなかの〈イメージ〉のきらめく、我々には近づきえぬ場所」(Foucalt『言葉と物』より引用)とは、別の、もう一本のレール。

 

(レールでなければ、一本のレールから脱線したもう一つの仮の道筋)

 

ひとりの役者・俳優には独特の距離感覚がある。

自分以外の人間に対する役者・俳優の感性のうちには、誰かれ万遍なく差し向けるには、等距離感覚で図られる距離感が意識されている。

(ここで、〈人間〉と持ってくるのは、今の哲学の時代性によるものだと思う。そしてもしかすると、このあとからが違うことになってしまうのかもしれない。それだから、人間、人間・・・としつこく言っている。)

役者・俳優にとっては天性のもの、自分を核として中心に置いての球面を描くほどの、相手構わずの等距離感覚だ。

この言に腑に落ちるところがあるのなら、人が人に対して持っている距離感というのは、動植物に向けてもその応用性が発揮される、ああ、あのことかと。意思の疎通に似た現象。ちょっと変更されると、それが農業であったり漁業であったりと。

そのような配慮で持ってしての距離感覚、共鳴感覚・共振感覚。

自分自身とに対して、同種族か科か類か(目もあるんだった)によっても(といっても、分類ということ自体が近代以降の出来事であるようなので、それを無視して人類始まって以来約5万年に渡って、相対的に自然にその感覚を使い分けていたことが不変であるとは、言いきれない。だからとりあえず、)ごくごく整然と整理整頓されて、常に感覚が整理される。役者やあるいは俳優は、どういう内容でどういう意味の等距離感覚なのかは、自分のことは言わないはずだ。

〈役柄〉について多くを喋ることがあっても、役柄の名を主語とする以外の主体を前面にすることには抵抗があるはずだ。

運転手でいえば、乗ってる座席が違う。役者・俳優にとって、〈自分〉とは、ブレーキにもアクセルにも足が届かない場所にいる奴。

 

距離感覚そのものが個々それぞれであるのだから、ひと1人がひと1人ゲノムほどに超莫大な、莫大な質と量を合わせ持った、これこそが感覚のなかの〈感覚〉というものではないか。

何らかの(何らかのと言わざるを得ない、表現において不明瞭ならざるをえない)等距離感覚が、ひとたび舞台に上がると球面の方々へと共鳴共振される。

距離感というものは、運転手には深視力として測られたりと、音響屋には波長域であったりと、様々な方法で測られたり、心情的には一般的に警戒心を持ってのフォビアな距離感であるとか、例外的にフェチみたいな、親密な距離感覚を特別に持っている人がいるだとか、それとか、理学療法士に聞いたところでは、痒みは痛みの一種と考えるのだと聞く。内臓の疾患や加齢などから来る掻痒感は、理学療法士によると痛みと相同なのだと。医療者としての訓練から生まれる等距離感覚なのだ。

そのように、知覚を根幹に据えるのか、それとも、精神と肉体、運動神経を根幹とする、何らかにおいて役者・俳優の感覚の肝は等距離感覚なのだ。

 

等距離感覚だとか、その距離感覚というものが、天性の役者あるいは俳優の感覚を形作る。

心情である内面は計ることはできないが、同じく心情としての距離感覚ならば、ほとんど反射運動のようにごく自然に、その人にとっては、理由なきことではない振る舞いへと到達するようにして、個々の成長と共に意識されもすることによって、全くの群衆といえども個と個。そこの等距離感覚が観客一人一人と同期する。舞台と客席が形作られる。

個人という創発が、演技的で演劇的空間に起点があったはずのことを、ここで思い出したい。思考はだいたい遅れをとるものだし、後から思い出すことができるのなら、そこを思い出したいものだ。

 

『ハレーストレインあるいは七月の麦畑』で、犯罪を犯した主人公の少年の見る幻覚が、私たち観客には飴色に物悲しく表象される。

赤ずきん (ハッチの指を噛む)「ん。」

ハッチ  (指を引っ込める)「イテ。」

赤ずきん 「願いの味がしねえ。」

津島   「先生、こんなことをしていた事を、僕は思い出すでしょうか。」

金平   「皆、覚えていられるか?」

一同   「覚えているとも」

           一同、「ブーン、ブーン・・・」と言いながら飛び去る(ト書)

 

 

熊   「忘れた、覚えてる、忘れた、覚えてる、忘れた、覚えてる・・・この周期が

     だんだん短くなって、何もかも忘れてしまうでしょう。そうしてイルカになる

     んです。不可解ですから。そして、この不可解さを記憶しているのは不可能

     なんです。」

 

なぜこうも、劇団極の芝居は記憶にこだわるのだろう?記憶消失を願っているのか、それとも抗っているのか?

熊   「わかりません。ただ・・・。」

水すまし「ただ・・・。」

熊   「忘れても、忘れきれないものが有るのに・・・。」

 

 

あの人の等距離感覚がこの人の等距離感覚に共鳴して共振する。そしてこれが舞台になる。

そこにおいて、人々がどれほどの群衆であろうと、左客席で怒号が飛び、右側客席で拍手が起こりなどカオスを形成しようと、役者・俳優の距離感覚は等距離感覚なのだ。

観る者にとっては、演劇的な総体を感じ取る時、親密さ冷淡さなどに感じられる濃淡、ある意味幻惑を誘うそこんところの濃度ではなくて、過剰であるのかそれとも不足気味であるのかなどと、テンポ、間合い、などなどという、それは過不足如何の原理的な感覚に訴えて来る。

俗世的にいうと腹八分、満腹、五分五分、食い足りないなどなどだ。

観客は、感じ取ったテンポと間合いを、その者の生活者としての背景である社会的で一般的な偏向を持って自然と身につけたうえでの解釈の範疇におさめる。

一方で役者や俳優の演技は、生活者としての性質を脱却して完成している。

一連によるここらのところが、役者・俳優と観客とのあいだに齟齬と差異を生じさせる。

ここらの差異こそが、何だかわからないけど響く、「詩言語」だ。

 

アドリブひとつをとってみると、たとえアドリブ台詞を劇団が「アドリブ禁止」していたとしても、舞台にあっては止むに止まれぬアドリブという、職人技が必要とされる時だってある。とてもアドリブとは思えない決め台詞が突発的に、役者の口をついて出たとする。それが「うまいこと言う!」で賞賛を浴びて済んだものか、それとも済まなかったかの違いだけ、その記憶がアドリブを言う本人には残る。

それを一回こっきりの舞台で観ることになる観客には、アドリブであろうとなかろうと台詞であることに違いはなくて、観客の感受性の中には、一瞬、のどがつまりそうな餅みたいな感覚がやって来たことに「おや?」と気がつき、しかし芝居上演中だから、スッと餅みたいな感覚は消えてなくなる。

感覚だから、言葉では蘇って来ない。そして芝居は先へ先へと続くので数秒後には観客の脳からは消え失せてしまう。

「見え方」を捨象しても、それが確信に至るというわけにはいかない。

芝居は、媒体に定着させる映像とは違って脳にも定着し難く、批評であってもそうなる。

 

それから、観る者は芝居の間じゅう「なぜ?!」を問い続ける。役者・俳優は「太陽のせいだ」とか、「夏だからだ」とか、他人には分かり得ない理由を取ってつけて、それが台詞化すると、理解不能の不条理だ。

ダダイズム、シュールレアリズム。アングラ演劇と呼ばれた60年安保を前後にした演劇ムーブメントは、役者と役者的な人間を主体にする演劇を志向することだった。役者が何を考えているのか?役者であるとは何か?についての確実な動機、そうすると、役者が内的に役者を探し出す、一連に不条理がいちいち発見されてくる。

役者・俳優の意識を人が持つとき、それは60年代からの演劇に準じて〈脱却〉であると考える。

60年代の演劇の役者志向を無視するわけにはいかない。市井の何でもない素人臭さを持って、人が役者である自分を発見する。その役者は役者である限り、役者が放つ不条理感を隠そうとしない。不条理性の必要が、内的不条理感を探させる、そして見出す。

 

ここで言うのは言葉自体がやはり60年代ムーブメントを写し取ったようになる。今どきの言葉で、「内的」であるとか「主体」であるとか、役者態の時の「脱却」であるとか、1962年生まれの私にはこれを他の言葉で言う方法を知らない。

 

ここでつけ加えると、「ガラスの海 砂の雨 その2」で、私自身について「役者としての限界ぶり」を書き連ねてはいるものの、感覚だけは私は役者の感覚なのだ。

そういう人もいるという類いだ。

 

傍目に映る、不条理で不条理劇。

それもまた、いわゆる近代的な新劇から袂を分かつことになった、俳優志向ゆえの所産だったのだと想像する。

鋭い距離感、鈍足の距離感、お釈迦様のような万物への縦横無尽で無量無辺な距離感覚も、それがまるで、役者や俳優の場合には自己中心な球面体であることだけが役者的なのだ。

役者であるということは、器用なことではない。賢くいられることでもない。

ハーバード出だとか、東大出というのは例外なのだ。

それらを併せ持つことのわかりずらさ、不条理さを前にすると、何という一般的な表現・表象も的を得ないでいる。

嫉妬深さも、役者にとっては内実には別な言葉があるのだろうと想像する。しかし、それを指して、一般に倣って嫉妬だと言ってしまうと、一般的な社会通念である他人の持てる物が羨ましいだの妬ましいだのと同じ範疇に振り分けられてしまう。

 

ほたる  「あの傘がないと・・・。」

熊    「傘がないと?」

ほたる  「私が私ではなくなる。」

 

劇作中では、傘は待ち合わせの目印だったり、ほたるが言う「盗ったでしょ?!」と因縁をつけるためのアイテムだったりしている。「傘」は、セリフに現れる度に、幾つもの傘を水すましが抱えて持って出て来る第三幕のようにして、物事が、傘にまつわる言葉ごとに次々と実現して行ってしまう、その鍵になっている。パンドラの箱の蓋を開ける鍵として語が投じられている。それと共に、第一幕の「傘」に対するほたるの執着的な態度は、支離滅裂なあの手この手で迫ってくるゆえに、全方位に嫉妬心を振りまくことになる。その粘着さの印象は、通り過ぎると、瞬く間に観客の記憶からは消えてしまったかも知れない。でも、あんなひと、役と役者は、あの場面だけでもそうそういるもんじゃないと思う。

それに、その印象を嫉妬心と断定的に括ってしまうと、表象は一般的なものにしか目に映らない。

役者・俳優は、相同であるもう一つの、確実に自分を動かす動機を探し出す。

役者は個々がそれぞれに、何らかの違いを持ってしての存在感というのを自分に課す。

 

音楽家や画家など、アート系で見てみると不世出の才能という表現がある。

世の中にはどういう天才性の人間から見てみても、見えている技が、あまりにも信じがたく人間業とは思えない技術屋な人がごまんと存在する。

不世出という現出には、肝心の霊感とあり得ない技術とが、渾然一体となったときに、ひとりの人間が出現する。それな場合には、アカデミズムの導線の一本のレールとして、アカデミズムに足して新設して、アカデミズムが2本のレールに。

そのようなことになる。

そうして考えるとしてみると。

確かに、セリフにあるように、遺伝子は、特異的に一本のレールかもしれないのだ。

アカデミズムは実は、現代において既にレールは、いわゆるリゾームという、同じ分野でも違う分野でもレールは数十本数百本と増殖する、その現実のさなかであるわけなのだった。

対して役者・俳優の才能というのは、そうやって何らかの渾然一体ではないわけなので、

学者肌の不世出の類いというのは、役者俳優とはまるで別種の、何が違うのかは判じても、曰く言い難いのだが違うことは違うという意味での別種の存在である。そして、もしかすると、別種という意味では、確かに、気がつくと、自分の身体以外何もないみたいな、遺伝子に寄り添った一本のレールを役者こそは感じているのだろう。

役者・俳優という者には、たった一本のレールだけがあると仮定しうる。

例えば、トム・クルーズは、スタント無し命綱無しで、世界一の超高層ビル、ドバイのブルジュ・ハリファに登った驚き桃の木パフォーマンスをしてさえも、それでも、不世出の輩を輩出するアカデミズムとは種類が違う。

 

 

演技的であるということについて、世間一般、フロイト時代から始まった心理学では、病理的に見なされるという、そういう側面がある。

アーティストのパフォーマンスは、時として、なんだかキラキラしているかっこよさの閃きに満ちている。

その何だか光り輝いている虚構には、アーティスト本人の内実のことではなく、時代性の何らかの病理的な側面がフィルターの役割をしてしまうこともあるだろう。特に若い観客には、「かっこいい!」というアーティストと観客との共鳴・共振には、同時代性という感覚が病理的な一因に含まれるかと思われるほど、病理的象徴的なものだ。

内実というのは、他人には見せられない騎手の荒れた臀部であるとか、大工のペンチのように曲がった指先であるとか、10年続けば一人前と言われる職人が、努力のかいあって10年かけてこうむる身体的なものだ。どこの世界でも内実というと、身体的なものだ。

身体と精神というのは、いつの時代に分たれたものなのかは、解読してあった哲学書があったように思う。

しかし、別なことを考えてみたい。遺伝子理論が時に「たまたま、数億年にも渡って、生成・消滅を繰り返してきた分子の群れの中のひとつに、自己複製する分子が現れた。偶然の出来事だった」と表現するのと同様にして、古代において偶然、何らかの祭儀中にたまたま、ひとりは身体としての私、もうひとりは精神を翼にした私として、ともかく私が私と分かたれたのだと考えようと思う。

 

偶然は必然であるとする運命論も、存在する。偶然と必然が混濁する一瞬、精神のカオスに見舞われたのちに、歴史的〈たまたま(偶然)〉以降、演じることの元祖がそこにいたのだろうと想像する。古代、役者になった役者・俳優は、運命論から脱線した一本のレール、そこでもまた、歴史的人物からも民衆からも一線を画した、別種の存在だったのだろう。

偶然性に満ちたその前史にはもう何も見当たらないとでも言うかのような遺伝子理論とに起点を合わせると、後々の行く末を問うのは別件として、それがコンピュータ、AIであろうとも、物事の起こりの真実は、たまたまでしかないのだ。

遺伝子には、偶然起きてしまったその前史を見出させようとはしない、SF的なそこのところが戦慄させる。

それを何と相同としようか、その考えが役者・俳優の内実である等距離感覚であり、役者・俳優の感性である不条理感である。

 

ユヴァル・ノア・ハラリは言う。

「スターリンは、本当は人類を生物学的な次元で再構築(reengineer)したかった。彼は新たな人類を想像することを夢見ていた。しかし彼には社会工学しかなかった。ゲノム編集や遺伝子工学、AIを開発する研究者、自分が開発している技術を最悪の政治家が用いるとしたらどうか?と考えるには、思考の飛躍が必要だ。」

歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは、自分ならば「ゲノム編集を用いてパーキンソン病を治療したいと科学者が言ってきたら「スターリンならどうするかな?」と思考するのだ」と言う。

「DNAレベルで身体を再構築する技術を手にするかもしれない。そして新たな人類種を生み出す。それは21世紀のスターリンによって開発されるのだ」と未来を危惧する。

 

(歴史学者の見解もまた、ぶっ飛んでいる。)

 

水すまし 「この事件は明らかに、海苔に巻かれたご飯。そしてその核となる具が、一体、

      何なのか。異常だ。」

熊    「どこが異常なんです?そのおにぎりがどうしたんです。」

水すまし 「普通じゃなければ異常です。」

町内会長 「岩内と札幌の間にはコンクリートの丘が続いているだけなんだよ。その高さは

      10メートル。その脇に長いトンネルが一本。ここは札幌市岩内町。」

熊    「異常だ、出鱈目だ。」

 

役者・俳優は、ここにきて、狂気のように異常だ、普通だ、異常だ・・・とヒステリックなセリフに代弁させられている。それでも自分自身(役者・俳優自身)を言い得ているわけではない。

劇作は、内心うろたえる役者たちをよそに、物語を編み続ける。まるで21世紀のスターリンのように運命を描こうとする。

 

役者・俳優が、どういう類いであるのか、決定論は別なこととして、役者個人には、たまたま、精神と身体とに自分自身を分けなければならなかった個々の経験を由来として、役者態には病理的と見なされる、それが演技的、演劇的な一面がある。

そのたまたま、個々人にもやむなく起こった分離(役者態にしてみれば脱却)による身体と、(最初は複製によったものであろう誰のものかは解らない)精神というものには、国家や社会からは手の届かない高みがあること、その逆を考えると、国家や社会がたどり着けない地下の奥底もまた有ることまでも幻視してしまう。役者・俳優の感じる解放感というのは、狂気すれすれではあるのだ。

 

役者と俳優の距離感覚には、ごくごく自然に病理への親近性が見られるのは、視点を転じ、病理から役者・俳優へと、見てみると、病理についてのその時々の社会的な認識、包摂の在り方次第で診断も変わると言えるのだから、医師は、個々に応じて病理的ではあるがそうではないと言ってくれる日々もあるだろう。あったのだろうか?現在において社会的には、マイノリティとも言ってくれるのではないだろうか?

 

(つづく)