お久ブリーフ。
今日は疲れてやってきたというよりも感じたことをメモ書きしに来ました。
最近はアニメ鑑賞してたりゲームで発狂してたり某スレに長期滞在してたり。
・・・一応ゲーム作ってたり。・・・一応。
それで、今日はその今後の製作活動と将来の自分が意識・考察すべき不確定な知識などを
忘れていても振り返った時に思い出すように、ということでここにメモ書きですね。
・物語に登場するグループは能力の凹凸を持つメンバーで構成するべき。
当然といえば当然だけれども物語に接する機会が少ないので今更気が付いたこと。
完全無欠みたいなキャラクターを持たせてしまうと会話が作りにくいし、
成長を作り難い。
そして完成度が高くなるに連れ割とテンプレートに嵌り易くなり、
そのやりとりの魅力が薄くなりやすい。
そもそも浮き沈みがないので「どうせ~」が実現するパターンが成立しやすい。
逆に凹凸を作った場合は補い合うこと、「これにこうさせたら~」という役割の交換によるギャップなど物語を膨らませやすい。
というのは制作側だけならず、受け取り側も同じことであり、
個人個人の物語を生むことができる楽しみへ繋がる。
ただし、きっちり確定しておかないとキャラ崩壊を起こしやすい。
これは完成しているキャラというのは憧れに近くなりやすい為、完成したキャラの場合はこうはなりにくい。
つまり、心の中に世界を作っておき、その世界を確立しておかなければキャラが崩壊したりしやすいが、憧れであればそれなりに確立しているので、世界を持つ人の人間性が揺らぐこと以外では崩壊し難い
ということである。
これはラブライブの一期と二期の一挙で二年生組3人を見て感じたことですね。
いい感じに長短を持たせた3人組が補い合う構成でできているように感じましたね。
あとは追記すると「完全キャラ+ボケをかます」という大雑把な設定だけしてしまうとと
その後の話が既存のもののコピーになりやすい、
ということなどは挙げられるんじゃないかなーと。
・物語が大きく揺らぐポイントまでにきっちり前提を確立しておくべき。
局面までに今までなかったような流れを持ち込んでしまうと、
受け取る側からはキャラが変わったとか、シナリオを強引に歪曲させたように映るということ。
要するにきっちりフラグを立ててから物語を急転換させようということ。
特に沈みの急展開である場合は、「そうじゃなかった」が生まれやすく、
「ここまではよかった」と思われてしまいやすい。
「こういう要素のときはこう動く」「けど、更にこういう要素があれば例外である」
と言ったアルゴリズムや心理などに似たものを物語の内で確立させておけば、
「あー、ここでこれが出ちゃうかー」という自然な物語構成が出来る・・・のかなーと思った次第ですね。
これもラブライブ。一期の一挙放送ですね。一部二期でもあったね。
具体的に言うと一期だと11話12話あたりですね。
直球だった主人公が突如ねちねちと捻くれ始める沈みの部分ですね。--------------------------------------------------------------------------
体調が悪いのに無茶して練習
体調が悪化してしまうが無茶して本番へ
本番で倒れる
大会の出場を辞退したと聞いて出れなかったことをとにかく悔やむ
(注意を受けずに無理をした自己崩壊である。単純に出たかったことがわかる。)
友達の声に耳を貸さなくなる
廃校阻止の目標が達成されたと聞く
目標達成と聞き、恰も今までの活動がそれだけの為と転嫁し思い出を否定。
(出たがっていたはずなのに目標の為と転嫁。)
友達が相談してくれなかったことを友達の所為に転嫁。
--------------------------------------------------------------------------
強引に物語を延ばす為か既になんとなくあったキャラ設定を
違う方向に強引に確立させる為にできたようなキャラ崩壊のような場面から。
こういうことがあると、せっかく世界に居るキャラが崩壊してキャラのイメージが悪化してしまいキャラの評価が下がるが、実際はそういうことを予測しない世界の持ち主の問題である。
他には今までそういうことがなかったのに沈んだと思ったらいきなり起こった事でもない後付設定で夢を語りだしたら結局論点がずれてて歪曲していて意味不明だとか。
これについてもただ残り時間が短いという枠は何個かあったのだから、そこで出すか、キャラ用の枠として確立させるならもともとこうだったというのを準備しておくべきだったんじゃないかなーなんて。
まあ批判みたいになっているけど、自分が似たような物語の構成になったらこう注意しなくては、という受け取り側と作成側の意思の違いが生まれる要素をピックアップしているだけなので、作品が良くなかったと思っているというよりは部分的に分解して自分に生かそうとしているだけなので悪しからず。
・深く切り込めば全員が自己中心でナルシスト
随分ざっくり言ったけど正確には多くの人がそうなんじゃないかなって思ったこと。
記事で一番不確定な要素として。
というのもスレッドに滞在すると見えてくるものがある。
文脈や語尾や特徴・・・。それで個人が分かるとかそういうことではないです。
それは、「スレッドを使う人間としてのスキル」でしかないため、おおよそスレッドを使う上でしか生きません。
今回はそうじゃないです。どういう気持ちで書き込んでいるのか、
・・・いいえ、その人が気が付いていないかもしれない根本的な元となる概念の捉え方についてですね
自分をお客様と思って自分中心で要求や命令をしてみたり
なんてことはよくありますよね。
しかし、逆に言うと
「頭がおかしい」「間違っている」「勘違い野郎」「常識がない」
これは何ですか?ということですね。
要するに「あなたは常識はありますか?」という質問はどういう意味なのだろうか。
まず私が「あなたは常識はありますか?」率直に聞いた時に半数より多いくらいの人が肯定の反応を示すと思う。
そして、討論中に「あなたは常識はありますか?」なんて聞いたらどうだろうか。
おそらくほぼ全員が肯定するだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、
「自分の尺度から人間は物事を図る習性が身に付いている」
つまり、「根本にあるものは主観」であり、「根本は自己中心」だということである。
それが冷静さを失い、増しては自分の正当性を相手に理解してもらおうとしているとなると、
そもそも「自分の正当性」なんて状態で既に自分が正しいということが確立してしまっているわけで、どうやって見ても相手よりは常識を持っているという心理が本能的に出ているわけである。
そもそも、何が常識なのか決定する要素がまず個人によって異なる。
礼儀や宗教、人によっては多数決や個人個人が楽しめることなんて場合だってあるし、
後者を間違っていると判断している僕が正しい証拠もない。
そもそもこの問題にはおそらく「正しい」なんてものはない。
これは人格形成の時点で決まりかかっていることであるため、そうだという風にうわべで理解させても、本質的に自身が理解していない事が殆ど。
ただ、「言われたからこう」という考え方が確立しているため、「何故、こういわれたのか?」ということを考える人は少ない。
故に本質的に理解していない事に気が付く人も少ない。
その面では
「僕はこの世界に必要な人間なのか」「僕は生まれてこなくても良かったんじゃないか」
という問題に答えが出ないといったことは別に問題がない。
むしろ本質に迫った結果を更に本質に迫れば長く連なりが続いていくわけだから、どこかで「こういわれた」が登場するか、答えが出ないのが普通である。
その、こういわれたをかなり低いラインまで減らした場合、仮にそうすることを人格形成の部分から出来るのであれば、また見えてくる常識は違うものになるはずだろう。
つまり、あくまでも人格形成の時点で一人ひとり違った世界観と常識を備えており、それが自身の「何が常識なのか」を判断する要素を元に間違っているかどうかを判断する為、本来自分が常識がないとは思わない
ということである。
仮に「ご飯はスプーンで食べるもの」「同じ年齢層の多くがそうしているから」という子供の中の常識があったとしても、「多くの子供がそうしているから」という尺度から見れば間違っていないが、おそらくこの記事を読んでいるだろうご飯を箸で食べる場合もあると考えている一同からすれば、「大人は毎回そうしているわけではない」という決定する要素を持っているために食い違う。
そこで出る答えが、「箸を使う場面もある」「お前は子供だ」というようなものになるわけである。
これを子供が受け取った時に、「子供じゃない」とか「みんなそうしてる」とか「スプーンで食べるもの」という答えが出る。
というかこの子供が反発するという行為でさえ、根拠付けが非常に雑であったにしても子供に世界観が既に存在することを示しているし、「じゃあ箸を使ってみる」というアンサーがあることを考えると常識が変わろうとしている時に成長することが分かる。
つまり、自分が常識を持っていると判断した段階で、成長は大きく減衰するということも伺える。
自分が中心であればあるほど、取り入れることができるチャンスを溝に捨てることになるし、成長しないで発展の途中で滞在する時間が長くなるということだ。
そのロックとアンロックの周期の中で、いかに取り入れるチャンスを逃さずに、かつ根拠付けをしっかりできたもののみを取り入れるといったことができるか、これが成長率なのではないだろうか。
まとめると、
◆安易に相手の常識を疑ってしまうと、実は自分の方が常識がないと多くの人に映ってしまうこともある
◆「常識(はい・いいえ・その他)」は個人によって「根拠付けを行う要素(教え・宗教・多数決など)」と「内容(出来事やものなど)」が違う。
◆自分の正しさを説く場合はきちんと根拠付けを行っておかないと、本来反対側にいる人のアンロックを解くことはできない。
◆それらを決めているのはあくまでも根本に存在する自分の尺度であり、客観ではなく既に常識として取り込んだ自分の常識であることが多い。
まだ尺度についての考察がありませんでした。
憧れとはなんでしょうか?
自分がこうなれたらいいなあというものですね。
「~が~で」と言った具体性が伴う場合が多いです。
それは自分と憧れの対象の差分に当たりますね。
つまり自分が憧れに至るうえで排除する必要がある劣等感に当たります。
この「排除する必要がある劣等感」が尺度ですね。
なんでその要素が排除すべきであるのか、なんでこうなりたいのか、
これを決めているのが「理想」であり、自分の中の常識に一番近い人になるわけですね。
そしてその常識を目指すうえでその常識が揺らいだり、理想となる人が変わってくるわけです。
つまり自分に対して足し算や引き算をする能力を身に着けており、そうすることで完成する自分を予想する能力を人間はもっています。
(ただし、結果としてそうなるかは別であり、正しい式を作れるかどうかは別である。)
そしてそれはあくまでも、自分→理想であり、自分が中心の計算になりますし、式を立てる上で理想となった自分は個人の中の常識に匹敵する存在であり、自分がその理想になる元となるモノである前提になっているわけですね。
5という数値を作るうえで一番簡単な道は5に1をかけること。
それは自分がもともとその理想であったら何もしないでも理想になれたという式ですね。
4に1引いて2足した。
これが自分の短所を除いて必要なものを足した式ですね。これだと自分が4の位置に居ることになります。
おそらくこれを表すには2次元や3次元の足し算引き算の方が軸と特性を当てはめられる為いいのでしょうが、わかりにくくなるので一次元で勘弁してください。(苦手であることもあり)
ここを要約すると
◆理想を決めているのは自分の中の常識で、その中でより優れた存在と認識しているもの。
◆理想の設定したときにおおよその自分との差分を即時に判断する能力を人間はもっている
◆即時に差分を判断できるということはその理想に自分がなる素質を持っていると根本で判断している。
◆相手を理解すれば常識と更に合致したり違いを感じたり、相手に常識を上書きされるということもよく起こる。
◆理想は確実に実在しているとは限らず、近い存在を更に付け足したものであったり、長所と感じた場所の結合体であったり、全くの空想であったりする。(≒正義)
「理想」という存在は、現段階のその人の「常識」から外れていない、その人の最強の存在である。
しかし、「常識」や「人間らしさ」の評価とは、
多くの場合において、
「理想」を構成できる「自分」と「相手」を比較した、と錯覚しているだけであり、
実際は「理想」と「相手」を比較しただけの「自分」と「相手」を比較したものではない。
つまり、「自分」と「相手」の位置付けを行っていない。(「ブーメラン」の概念)
そして、その「理想」も「常識」も自分の「尺度」と「判断要素」によるのもので、
それが必ずしも「多数の支持」に繋がるとは限らない。
そして、必ずしも「多数の支持」が根拠付けによって確立された「常識」とは限らない。
・勝ち組と負け組を決めていく要素
勝ち組と負け組を決める要素は、上で取り上げた尺度や根拠付けによる判断によって
理由のある引き出しを増やすことはもちろんだが、モチベーションなどの他の概念も存在する。
人間は立ち止まるのが大好きである。
そして、その立ち止まっていることに気が付くかどうか、ここで既に重要な要素がある。
「なんでこんなことをしているのか」「これは何のためになるのだろうか」
この根拠付けをしっかり行うようにしていれば、日常の無駄に気が付くことにつながる。
例えばさっきのスレの長期滞在がそれにあたる。
スレの長期滞在は人間の性質を理解することができる長所があるが、
もしかしたら他にももっと楽しくもっと効率的な方法があるのかもしれない。
もっとも私は掲示板では人間の本性が通常のコミュニケーションよりも見えやすいと思っているため、
非常に効率的であると思っているのだが、引き出しが多く無い為他と比較することはできない。
そして、これの非常に時間が無駄であると感じる場面はやはり対立が発生した時である。
さくさくと進めばいいのだが、ロックが強すぎる者が議論の中心に居る場合は一向に進行せず、
更には互いに一方的に意見を言う様子を嗅ぎ付けた者が一人また一人と増え、
同じ議論を掘り返したりしてはまた繰り返す。
これを説明したり、再度議論をすることはおおよそ何も得られることが無い為非常に時間の無駄である。
そもそもさっきの「常識」のように、双方が間違っていると思っていないから対立が起こるのであって、
それをロックしていたら、そもそも進行する可能性も限りなく薄い。
その時間を金やスキルアップに繋げていたら、もしかしたら別の道を進むことができた、
といった局面にぶち当たる可能性だってあろう。
そこに気が付いていたら、と後悔した時には既に遅いということである。
僕ももう20年も生きて、そういうことも何度もあったけれども、それはこれからもだろう。
立ち止まることは悪くない。
整理したり呼吸を入れることは大事だ。
しかし、それと無駄な場所に労力を投資する行為は別であることを間違えてはならない。
無駄をカットし、必要であることであれば極力、
収支計算として相応の収入の為の労力のチャージとして考える必要がある。
チャージに向いていないのであれば無駄であるので、なるべく早くよりよいチャージを見つけて切り替えるべきであろう。
これは非常に難しい。
人間の怠惰の心は人間の最大の強敵であるのだから。
そしてこの収支計算の時点で既に自分に甘い計算をしてしまうと、得られるパラメーターは高く望むことができない。
「ちょっとだけちょっとだけ」それが「違う道へ進むチャンスを逃す」ことに繋がり、
一度チャンスを逃すと、難易度が違えど収支計算とスケジュール管理と怠惰の心から、
またチャンスを逃す可能性も全然ある。
失敗したことによってより怠惰の心が強くなることもあるため、この連なりを断ち切る決断力と行動力が必要であり、
それを身に付けたときには負け犬ではなくなっているのではないだろうか。
それができないと時間だけがどんどん過ぎていき、
何もできずに何にもなれずに人生が終わってしまうのではないだろうか。
それが気が付くのがいつか、それに向かって走れるのがいつか、
これが遅ければ遅いほど負け犬から脱出できる可能性とチャンスも少ない
これを常に意識することが大事なのではないだろうか。
そして収支計算と怠惰に対してはライバルシップを強く持ち、負けないという気持ちが大事なのではないだろうか。
これは広告に出ていたある同人誌の試し読みの部分を読んでいて意識すべきと思ったことですね。
ざっくりとしか覚えてないけれど、
人間は奮い立って怠けてを繰り返し、
どうあるべきかどうすべきかどうなるべきかを見つけた時には既に生命力がなくなっていて、
力がなくなったために、奮い立つ元気がなくなり知識も経験も生かせずに朽ちる。
といった感じのもの。
つまり若いうちは体力はあるが、知識や経験がなく、目標も見えないために怠けることが多いが、
折角目標を見つけて動こうとしても今度は体力が無い為に何も変えることができない。
そうして何もできずに人生が終わる。
多分その通りだと思います。話聞いたりそこまで人生経験してないからわからないけど、
大人がいろいろやれっていうのはそういうことだと思います。
これをどこで抜けることができるか?
目標を早く見付ける事じゃないかなーって私は思いました。
・わたしはなぜプログラマーになりたいのだろうか?
これはアニメを見てふと思ったことですね。
後はさっきの目標の話も関係しているでしょうか。
「将来の夢」とはなんだろうか、ということですね。
「将来の夢」という言葉は結果を意味しているように感じるが、
本当にそうであろうか
ということですね。
どんなことにしても経過も必要になるのではないかと。
将来の夢を追いかける、というのは好きで好きで仕方がないから、
時には苦痛であろうと努力し続けることだろう。
それをどのような形であろうが形として表現した時に付く評価が
その将来へ進むことができるかを決定するからこそ、
その努力を怠らないし結果に拘る。
つまり形を作るためには経過も必要不可欠であり、
そのような経過を自分は辿っているのだろうか
ということです。
そう考えると私はプログラマーに心からなりたいと思っているわけでもないのかもしれないが、
だとしたら何になりたいのか、ということもわからない。
そもそもなんでプログラムをやるのか、ということを考えるべきであろうか。
楽しいからである。
しかし、他にもっと楽しいことがあると思っているし、それは理由としては成立しないだろうか。
モノを作りたい。
これは本質かもしれないが、これは作ってなんだっていうのだろうか。
おそらく自分の努力を形にして評価を貰いたいのが本心かもしれない。
評価を貰えるというのは他人が自分の作品に対して時間を割き、
その割いた時間がどういった時間だったのかということを聞くことができるチャンスである。
そして、楽しんでもらえるチャンスである。
それは努力してよかったと思えるものであるだろうし、また頑張ろうと思えるものであろう。
しかし、逆を言うと他の人の時間を無駄にしてしまう可能性もある。
私もそうだが、無駄になるかもしれないと思うゲームはやらない。
果たしてやってもらえるものが作れるかもわからない。
それはやって良かったと思う対価が付いてこない可能性もある。
極論からすると私がプログラマーとして就職したい理由は、技術を学びたいからなのかもしれない。
そして、他の人の「作って」という要望に応え、褒められることに、そして必要とされることにあるのかもしれない。
そして中でもPCゲームやコンシューマーのものを作りたい・やりたい。
それだけなのかもしれない。
実際は勉強をしたいからなのかな、と振り返って思っているこの頃でした。
ただ、そういう人間を欲しいと思う企業はあるのだろうか・・・?
その本質と向き合うのが就職試験なのではないだろうか。
まだ自分の本質の理解と、本質の企業に必要である根拠付けと、そもそもの企業に必要である本質がないというのはどうしたものだろうか・・・。
さて、今日の深夜に夜行バスで東京に出発します。
勿論就職試験ですね。
夜行バスは長いので、きっちり本質の探りに対しての自己研究をしたいと思います。
最後の長文は某開発会社からの内定を断った件も影響していますが、
今受けている会社が本当に行きたい会社なのか、もう受かっている会社でいいのか、
これを8月になってから真剣に悩んでいたんですよね
ここ最近になっておおよその作品審査の結果が出て、
内定予定連絡が1件
内定辞退が1件
最終選考が1件
2次選考が1件
作品審査待ちが3件
というところですね
もう今更申し込もうとも思っていないわけですが、本当にここからやりたいことを選べるのかわからなくなってたんですよね
第一志望は選考から落ちて、
今2次選考まで進んでいる会社は第二志望ですが、社風は非常に好きなのですが、技術力の追及ができる保証がなく不安だったりして、
そこで本心は自分が技術力を学べればいいのかなと思う場所もあり・・・。
まあバスが長いのでそこで考えますわ(2回目
3・4時間書いてたわ・・・(驚愕
今日は疲れてやってきたというよりも感じたことをメモ書きしに来ました。
最近はアニメ鑑賞してたりゲームで発狂してたり某スレに長期滞在してたり。
・・・一応ゲーム作ってたり。・・・一応。
それで、今日はその今後の製作活動と将来の自分が意識・考察すべき不確定な知識などを
忘れていても振り返った時に思い出すように、ということでここにメモ書きですね。
・物語に登場するグループは能力の凹凸を持つメンバーで構成するべき。
当然といえば当然だけれども物語に接する機会が少ないので今更気が付いたこと。
完全無欠みたいなキャラクターを持たせてしまうと会話が作りにくいし、
成長を作り難い。
そして完成度が高くなるに連れ割とテンプレートに嵌り易くなり、
そのやりとりの魅力が薄くなりやすい。
そもそも浮き沈みがないので「どうせ~」が実現するパターンが成立しやすい。
逆に凹凸を作った場合は補い合うこと、「これにこうさせたら~」という役割の交換によるギャップなど物語を膨らませやすい。
というのは制作側だけならず、受け取り側も同じことであり、
個人個人の物語を生むことができる楽しみへ繋がる。
ただし、きっちり確定しておかないとキャラ崩壊を起こしやすい。
これは完成しているキャラというのは憧れに近くなりやすい為、完成したキャラの場合はこうはなりにくい。
つまり、心の中に世界を作っておき、その世界を確立しておかなければキャラが崩壊したりしやすいが、憧れであればそれなりに確立しているので、世界を持つ人の人間性が揺らぐこと以外では崩壊し難い
ということである。
これはラブライブの一期と二期の一挙で二年生組3人を見て感じたことですね。
いい感じに長短を持たせた3人組が補い合う構成でできているように感じましたね。
あとは追記すると「完全キャラ+ボケをかます」という大雑把な設定だけしてしまうとと
その後の話が既存のもののコピーになりやすい、
ということなどは挙げられるんじゃないかなーと。
・物語が大きく揺らぐポイントまでにきっちり前提を確立しておくべき。
局面までに今までなかったような流れを持ち込んでしまうと、
受け取る側からはキャラが変わったとか、シナリオを強引に歪曲させたように映るということ。
要するにきっちりフラグを立ててから物語を急転換させようということ。
特に沈みの急展開である場合は、「そうじゃなかった」が生まれやすく、
「ここまではよかった」と思われてしまいやすい。
「こういう要素のときはこう動く」「けど、更にこういう要素があれば例外である」
と言ったアルゴリズムや心理などに似たものを物語の内で確立させておけば、
「あー、ここでこれが出ちゃうかー」という自然な物語構成が出来る・・・のかなーと思った次第ですね。
これもラブライブ。一期の一挙放送ですね。一部二期でもあったね。
具体的に言うと一期だと11話12話あたりですね。
直球だった主人公が突如ねちねちと捻くれ始める沈みの部分ですね。--------------------------------------------------------------------------
体調が悪いのに無茶して練習
体調が悪化してしまうが無茶して本番へ
本番で倒れる
大会の出場を辞退したと聞いて出れなかったことをとにかく悔やむ
(注意を受けずに無理をした自己崩壊である。単純に出たかったことがわかる。)
友達の声に耳を貸さなくなる
廃校阻止の目標が達成されたと聞く
目標達成と聞き、恰も今までの活動がそれだけの為と転嫁し思い出を否定。
(出たがっていたはずなのに目標の為と転嫁。)
友達が相談してくれなかったことを友達の所為に転嫁。
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強引に物語を延ばす為か既になんとなくあったキャラ設定を
違う方向に強引に確立させる為にできたようなキャラ崩壊のような場面から。
こういうことがあると、せっかく世界に居るキャラが崩壊してキャラのイメージが悪化してしまいキャラの評価が下がるが、実際はそういうことを予測しない世界の持ち主の問題である。
他には今までそういうことがなかったのに沈んだと思ったらいきなり起こった事でもない後付設定で夢を語りだしたら結局論点がずれてて歪曲していて意味不明だとか。
これについてもただ残り時間が短いという枠は何個かあったのだから、そこで出すか、キャラ用の枠として確立させるならもともとこうだったというのを準備しておくべきだったんじゃないかなーなんて。
まあ批判みたいになっているけど、自分が似たような物語の構成になったらこう注意しなくては、という受け取り側と作成側の意思の違いが生まれる要素をピックアップしているだけなので、作品が良くなかったと思っているというよりは部分的に分解して自分に生かそうとしているだけなので悪しからず。
・深く切り込めば全員が自己中心でナルシスト
随分ざっくり言ったけど正確には多くの人がそうなんじゃないかなって思ったこと。
記事で一番不確定な要素として。
というのもスレッドに滞在すると見えてくるものがある。
文脈や語尾や特徴・・・。それで個人が分かるとかそういうことではないです。
それは、「スレッドを使う人間としてのスキル」でしかないため、おおよそスレッドを使う上でしか生きません。
今回はそうじゃないです。どういう気持ちで書き込んでいるのか、
・・・いいえ、その人が気が付いていないかもしれない根本的な元となる概念の捉え方についてですね
自分をお客様と思って自分中心で要求や命令をしてみたり
なんてことはよくありますよね。
しかし、逆に言うと
「頭がおかしい」「間違っている」「勘違い野郎」「常識がない」
これは何ですか?ということですね。
要するに「あなたは常識はありますか?」という質問はどういう意味なのだろうか。
まず私が「あなたは常識はありますか?」率直に聞いた時に半数より多いくらいの人が肯定の反応を示すと思う。
そして、討論中に「あなたは常識はありますか?」なんて聞いたらどうだろうか。
おそらくほぼ全員が肯定するだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、
「自分の尺度から人間は物事を図る習性が身に付いている」
つまり、「根本にあるものは主観」であり、「根本は自己中心」だということである。
それが冷静さを失い、増しては自分の正当性を相手に理解してもらおうとしているとなると、
そもそも「自分の正当性」なんて状態で既に自分が正しいということが確立してしまっているわけで、どうやって見ても相手よりは常識を持っているという心理が本能的に出ているわけである。
そもそも、何が常識なのか決定する要素がまず個人によって異なる。
礼儀や宗教、人によっては多数決や個人個人が楽しめることなんて場合だってあるし、
後者を間違っていると判断している僕が正しい証拠もない。
そもそもこの問題にはおそらく「正しい」なんてものはない。
これは人格形成の時点で決まりかかっていることであるため、そうだという風にうわべで理解させても、本質的に自身が理解していない事が殆ど。
ただ、「言われたからこう」という考え方が確立しているため、「何故、こういわれたのか?」ということを考える人は少ない。
故に本質的に理解していない事に気が付く人も少ない。
その面では
「僕はこの世界に必要な人間なのか」「僕は生まれてこなくても良かったんじゃないか」
という問題に答えが出ないといったことは別に問題がない。
むしろ本質に迫った結果を更に本質に迫れば長く連なりが続いていくわけだから、どこかで「こういわれた」が登場するか、答えが出ないのが普通である。
その、こういわれたをかなり低いラインまで減らした場合、仮にそうすることを人格形成の部分から出来るのであれば、また見えてくる常識は違うものになるはずだろう。
つまり、あくまでも人格形成の時点で一人ひとり違った世界観と常識を備えており、それが自身の「何が常識なのか」を判断する要素を元に間違っているかどうかを判断する為、本来自分が常識がないとは思わない
ということである。
仮に「ご飯はスプーンで食べるもの」「同じ年齢層の多くがそうしているから」という子供の中の常識があったとしても、「多くの子供がそうしているから」という尺度から見れば間違っていないが、おそらくこの記事を読んでいるだろうご飯を箸で食べる場合もあると考えている一同からすれば、「大人は毎回そうしているわけではない」という決定する要素を持っているために食い違う。
そこで出る答えが、「箸を使う場面もある」「お前は子供だ」というようなものになるわけである。
これを子供が受け取った時に、「子供じゃない」とか「みんなそうしてる」とか「スプーンで食べるもの」という答えが出る。
というかこの子供が反発するという行為でさえ、根拠付けが非常に雑であったにしても子供に世界観が既に存在することを示しているし、「じゃあ箸を使ってみる」というアンサーがあることを考えると常識が変わろうとしている時に成長することが分かる。
つまり、自分が常識を持っていると判断した段階で、成長は大きく減衰するということも伺える。
自分が中心であればあるほど、取り入れることができるチャンスを溝に捨てることになるし、成長しないで発展の途中で滞在する時間が長くなるということだ。
そのロックとアンロックの周期の中で、いかに取り入れるチャンスを逃さずに、かつ根拠付けをしっかりできたもののみを取り入れるといったことができるか、これが成長率なのではないだろうか。
まとめると、
◆安易に相手の常識を疑ってしまうと、実は自分の方が常識がないと多くの人に映ってしまうこともある
◆「常識(はい・いいえ・その他)」は個人によって「根拠付けを行う要素(教え・宗教・多数決など)」と「内容(出来事やものなど)」が違う。
◆自分の正しさを説く場合はきちんと根拠付けを行っておかないと、本来反対側にいる人のアンロックを解くことはできない。
◆それらを決めているのはあくまでも根本に存在する自分の尺度であり、客観ではなく既に常識として取り込んだ自分の常識であることが多い。
まだ尺度についての考察がありませんでした。
憧れとはなんでしょうか?
自分がこうなれたらいいなあというものですね。
「~が~で」と言った具体性が伴う場合が多いです。
それは自分と憧れの対象の差分に当たりますね。
つまり自分が憧れに至るうえで排除する必要がある劣等感に当たります。
この「排除する必要がある劣等感」が尺度ですね。
なんでその要素が排除すべきであるのか、なんでこうなりたいのか、
これを決めているのが「理想」であり、自分の中の常識に一番近い人になるわけですね。
そしてその常識を目指すうえでその常識が揺らいだり、理想となる人が変わってくるわけです。
つまり自分に対して足し算や引き算をする能力を身に着けており、そうすることで完成する自分を予想する能力を人間はもっています。
(ただし、結果としてそうなるかは別であり、正しい式を作れるかどうかは別である。)
そしてそれはあくまでも、自分→理想であり、自分が中心の計算になりますし、式を立てる上で理想となった自分は個人の中の常識に匹敵する存在であり、自分がその理想になる元となるモノである前提になっているわけですね。
5という数値を作るうえで一番簡単な道は5に1をかけること。
それは自分がもともとその理想であったら何もしないでも理想になれたという式ですね。
4に1引いて2足した。
これが自分の短所を除いて必要なものを足した式ですね。これだと自分が4の位置に居ることになります。
おそらくこれを表すには2次元や3次元の足し算引き算の方が軸と特性を当てはめられる為いいのでしょうが、わかりにくくなるので一次元で勘弁してください。(苦手であることもあり)
ここを要約すると
◆理想を決めているのは自分の中の常識で、その中でより優れた存在と認識しているもの。
◆理想の設定したときにおおよその自分との差分を即時に判断する能力を人間はもっている
◆即時に差分を判断できるということはその理想に自分がなる素質を持っていると根本で判断している。
◆相手を理解すれば常識と更に合致したり違いを感じたり、相手に常識を上書きされるということもよく起こる。
◆理想は確実に実在しているとは限らず、近い存在を更に付け足したものであったり、長所と感じた場所の結合体であったり、全くの空想であったりする。(≒正義)
「理想」という存在は、現段階のその人の「常識」から外れていない、その人の最強の存在である。
しかし、「常識」や「人間らしさ」の評価とは、
多くの場合において、
「理想」を構成できる「自分」と「相手」を比較した、と錯覚しているだけであり、
実際は「理想」と「相手」を比較しただけの「自分」と「相手」を比較したものではない。
つまり、「自分」と「相手」の位置付けを行っていない。(「ブーメラン」の概念)
そして、その「理想」も「常識」も自分の「尺度」と「判断要素」によるのもので、
それが必ずしも「多数の支持」に繋がるとは限らない。
そして、必ずしも「多数の支持」が根拠付けによって確立された「常識」とは限らない。
・勝ち組と負け組を決めていく要素
勝ち組と負け組を決める要素は、上で取り上げた尺度や根拠付けによる判断によって
理由のある引き出しを増やすことはもちろんだが、モチベーションなどの他の概念も存在する。
人間は立ち止まるのが大好きである。
そして、その立ち止まっていることに気が付くかどうか、ここで既に重要な要素がある。
「なんでこんなことをしているのか」「これは何のためになるのだろうか」
この根拠付けをしっかり行うようにしていれば、日常の無駄に気が付くことにつながる。
例えばさっきのスレの長期滞在がそれにあたる。
スレの長期滞在は人間の性質を理解することができる長所があるが、
もしかしたら他にももっと楽しくもっと効率的な方法があるのかもしれない。
もっとも私は掲示板では人間の本性が通常のコミュニケーションよりも見えやすいと思っているため、
非常に効率的であると思っているのだが、引き出しが多く無い為他と比較することはできない。
そして、これの非常に時間が無駄であると感じる場面はやはり対立が発生した時である。
さくさくと進めばいいのだが、ロックが強すぎる者が議論の中心に居る場合は一向に進行せず、
更には互いに一方的に意見を言う様子を嗅ぎ付けた者が一人また一人と増え、
同じ議論を掘り返したりしてはまた繰り返す。
これを説明したり、再度議論をすることはおおよそ何も得られることが無い為非常に時間の無駄である。
そもそもさっきの「常識」のように、双方が間違っていると思っていないから対立が起こるのであって、
それをロックしていたら、そもそも進行する可能性も限りなく薄い。
その時間を金やスキルアップに繋げていたら、もしかしたら別の道を進むことができた、
といった局面にぶち当たる可能性だってあろう。
そこに気が付いていたら、と後悔した時には既に遅いということである。
僕ももう20年も生きて、そういうことも何度もあったけれども、それはこれからもだろう。
立ち止まることは悪くない。
整理したり呼吸を入れることは大事だ。
しかし、それと無駄な場所に労力を投資する行為は別であることを間違えてはならない。
無駄をカットし、必要であることであれば極力、
収支計算として相応の収入の為の労力のチャージとして考える必要がある。
チャージに向いていないのであれば無駄であるので、なるべく早くよりよいチャージを見つけて切り替えるべきであろう。
これは非常に難しい。
人間の怠惰の心は人間の最大の強敵であるのだから。
そしてこの収支計算の時点で既に自分に甘い計算をしてしまうと、得られるパラメーターは高く望むことができない。
「ちょっとだけちょっとだけ」それが「違う道へ進むチャンスを逃す」ことに繋がり、
一度チャンスを逃すと、難易度が違えど収支計算とスケジュール管理と怠惰の心から、
またチャンスを逃す可能性も全然ある。
失敗したことによってより怠惰の心が強くなることもあるため、この連なりを断ち切る決断力と行動力が必要であり、
それを身に付けたときには負け犬ではなくなっているのではないだろうか。
それができないと時間だけがどんどん過ぎていき、
何もできずに何にもなれずに人生が終わってしまうのではないだろうか。
それが気が付くのがいつか、それに向かって走れるのがいつか、
これが遅ければ遅いほど負け犬から脱出できる可能性とチャンスも少ない
これを常に意識することが大事なのではないだろうか。
そして収支計算と怠惰に対してはライバルシップを強く持ち、負けないという気持ちが大事なのではないだろうか。
これは広告に出ていたある同人誌の試し読みの部分を読んでいて意識すべきと思ったことですね。
ざっくりとしか覚えてないけれど、
人間は奮い立って怠けてを繰り返し、
どうあるべきかどうすべきかどうなるべきかを見つけた時には既に生命力がなくなっていて、
力がなくなったために、奮い立つ元気がなくなり知識も経験も生かせずに朽ちる。
といった感じのもの。
つまり若いうちは体力はあるが、知識や経験がなく、目標も見えないために怠けることが多いが、
折角目標を見つけて動こうとしても今度は体力が無い為に何も変えることができない。
そうして何もできずに人生が終わる。
多分その通りだと思います。話聞いたりそこまで人生経験してないからわからないけど、
大人がいろいろやれっていうのはそういうことだと思います。
これをどこで抜けることができるか?
目標を早く見付ける事じゃないかなーって私は思いました。
・わたしはなぜプログラマーになりたいのだろうか?
これはアニメを見てふと思ったことですね。
後はさっきの目標の話も関係しているでしょうか。
「将来の夢」とはなんだろうか、ということですね。
「将来の夢」という言葉は結果を意味しているように感じるが、
本当にそうであろうか
ということですね。
どんなことにしても経過も必要になるのではないかと。
将来の夢を追いかける、というのは好きで好きで仕方がないから、
時には苦痛であろうと努力し続けることだろう。
それをどのような形であろうが形として表現した時に付く評価が
その将来へ進むことができるかを決定するからこそ、
その努力を怠らないし結果に拘る。
つまり形を作るためには経過も必要不可欠であり、
そのような経過を自分は辿っているのだろうか
ということです。
そう考えると私はプログラマーに心からなりたいと思っているわけでもないのかもしれないが、
だとしたら何になりたいのか、ということもわからない。
そもそもなんでプログラムをやるのか、ということを考えるべきであろうか。
楽しいからである。
しかし、他にもっと楽しいことがあると思っているし、それは理由としては成立しないだろうか。
モノを作りたい。
これは本質かもしれないが、これは作ってなんだっていうのだろうか。
おそらく自分の努力を形にして評価を貰いたいのが本心かもしれない。
評価を貰えるというのは他人が自分の作品に対して時間を割き、
その割いた時間がどういった時間だったのかということを聞くことができるチャンスである。
そして、楽しんでもらえるチャンスである。
それは努力してよかったと思えるものであるだろうし、また頑張ろうと思えるものであろう。
しかし、逆を言うと他の人の時間を無駄にしてしまう可能性もある。
私もそうだが、無駄になるかもしれないと思うゲームはやらない。
果たしてやってもらえるものが作れるかもわからない。
それはやって良かったと思う対価が付いてこない可能性もある。
極論からすると私がプログラマーとして就職したい理由は、技術を学びたいからなのかもしれない。
そして、他の人の「作って」という要望に応え、褒められることに、そして必要とされることにあるのかもしれない。
そして中でもPCゲームやコンシューマーのものを作りたい・やりたい。
それだけなのかもしれない。
実際は勉強をしたいからなのかな、と振り返って思っているこの頃でした。
ただ、そういう人間を欲しいと思う企業はあるのだろうか・・・?
その本質と向き合うのが就職試験なのではないだろうか。
まだ自分の本質の理解と、本質の企業に必要である根拠付けと、そもそもの企業に必要である本質がないというのはどうしたものだろうか・・・。
さて、今日の深夜に夜行バスで東京に出発します。
勿論就職試験ですね。
夜行バスは長いので、きっちり本質の探りに対しての自己研究をしたいと思います。
最後の長文は某開発会社からの内定を断った件も影響していますが、
今受けている会社が本当に行きたい会社なのか、もう受かっている会社でいいのか、
これを8月になってから真剣に悩んでいたんですよね
ここ最近になっておおよその作品審査の結果が出て、
内定予定連絡が1件
内定辞退が1件
最終選考が1件
2次選考が1件
作品審査待ちが3件
というところですね
もう今更申し込もうとも思っていないわけですが、本当にここからやりたいことを選べるのかわからなくなってたんですよね
第一志望は選考から落ちて、
今2次選考まで進んでいる会社は第二志望ですが、社風は非常に好きなのですが、技術力の追及ができる保証がなく不安だったりして、
そこで本心は自分が技術力を学べればいいのかなと思う場所もあり・・・。
まあバスが長いのでそこで考えますわ(2回目
3・4時間書いてたわ・・・(驚愕
