ここのところ、怒涛の日々(といっては大げさか)でしたので、ブログの更新が遅くなっていました。
明日からエジプトから、大学の研究者が来日。
私の研究室で6か月研究を実施されます。
エジプト政府との国際交流プログラムの一環なのですが、
我がラボにまたまた新しい風が吹きそうです。
先日、時間がかかりましたが、論文が掲載されました。
研究成果は対外的に発信してナンボです。
現在、2報投稿中ですが、本年度はあと4報は投稿する予定です。
博士課程の留学生も今月中には、初投稿できそうです。
動いているものに力は宿る、と思っています。
水も停滞すると腐る。
流れていてこそ、活きるんですよね。
そんなこんなで、本ブログでも時折触れている新型コロナ(←死語かもしれませんが)
とmRNAワクチンの問題点について。
以前から懸念していたのは、ワクチンを十把一絡げに、全て「ワクチン」と捉える考え方。
この数年間、新型コロナ禍(←あまり好きではない表現ですが)においても、
今回のmRNAとこれまでのワクチンの違いは、という話について
正直区別できていない方が多かったのを感じます。
今になって。
「X」などを見ていると、乱暴な文言が散見されます。
あんたはワクチンを反対しているようだが、幼いころから打ったことないのか、と。
一度も打たずに成長してから言ってみろとの暴言。
これを大学の教授などが言い放っているのだから、正直驚きを禁じえません。
何が正しいか否かの前に、「思いやり」の欠片もない。
その上で、話は戻りますが全てのワクチンを、今回のmRNAワクチンも含めて
十把一絡げに、「ワクチン」として論理を構築しようとする。
そして、「ワクチンはんたーーーーい」と、シュプレヒコールを挙げている。
私は明確にmRNAワクチンや今後予定されているレプリコンワクチンは100%反対です。
が、その点を拡大解釈して、いびつな活動に広げてしまうのは、異常だと思うのです。
私は何の能力もありませんが、それでも大学の研究者の端くれです。
少なくとも、他者への配慮、思いやりは無くしたくない。
優しさは、教養だと思っています。