講義の際に、私は"死"に触れることがあります。
多くの方がそうかもしれませんが、私は子供のころから、若い頃から、歳を重ねてからも
引力って言うのか、死とは何だろうと、時には恐ろしいほどの恐怖も浴びながら過ごしてきました。
ヒトは死を忘れるために働いているんだ
と仰っている方がいました。
正解だとか、間違いだとかは抜きにして
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
20代後半くらいだったか。
その時に腑に落ちた考え方として
「死はいわゆる解放だ」
という感覚でした。
言い換えれば、最後には必ず解放される(死ぬ)のだから
嬉しさも悲しさも内包して、その最期来るまで、やればいい。
という感覚。
ヒトは必ず死ぬ、というのは古今東西、いつの時代も呟かれて来た言葉
かと思いますが、いつか死ぬってのは、生き物が持つ契約なんだろう
とも思っています。
魚のサケのドキュメンタリーなんかも見ていて思います。
子孫を残すために川を必死に泳ぐんですよね。
卵と精子を出して、子孫に繋ぐ。
そうなると、力尽きて死んでしまうし、クマにそのまま食べられるケースもあるでしょう。
いずれにせよ、そこで契約が果たされる。
解放される(死ぬ)んですね。
人間と同じですが、ウニの受精の実験なんかも見ていて思います。
無数の精子が卵に群がり、そのうち一つの精子が卵に入ると、卵の周りから膜があがって
他の精子をシャットダウンする。
以前このブログでも触れましたが、もし私が精子だったころ、
ヘマをして卵の直前ですってんころりん。
二番手の精子がそのままゴールしてしまったら、
今ここで、PCの前でカタカタ文字をつづっている私は、
私であっただろうか、と。
そういう意味では、やっぱり世に落とされたってのは
とってもスペシャルなことで、その時から契約が始まってる。
いつか解放される、死ぬんだと。
契約が果たされるまで、まあよくやってよ、と。
先日、ある方の言葉を偶然聞く機会があって
「人生はぶっつけ本番」
と仰っていた。
そうですね。
決められたレールを歩かされている、
なんと言葉がありますが、そんなわけはないんですよ。
ウニの受精の話ではないですが、そもそも、この世に落とされたってのは
よっぽどのことで、スペシャルなことのはず。
こんな話を、講義の合間に学生にも話すことがありますが、
こんな話をすると
「こんなこと考えたことなかった」
という学生もいれば
「考えないようにしていたので、耳が痛い」
という学生もいました。
考えても仕方がないのかもしれません。
「ヒトはただ生きて死ぬだけ。意味はない」
と仰っている方もいました。
正解だとか、間違いだとかは抜きにして
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
どこかで覚悟を決めるしかないってことなんだろうなあ、
とお盆に思いつつ、まずは目の前の仕事。
ラボの生物のお世話で、日が暮れそうです。