「なぜ生物は死ぬのか」という問いは間違い…生物学者の東京大学教授「死ぬものだけが今存在している」深い理由
こんな記事がプレジデント・オンラインに出ていました。
京大学定量生命科学研究所教授の小林武彦先生。
この記事に関連する書籍を、以前読ませて頂いていました。
ヒトはなぜ死ぬのか。
生きとし生きるものはなぜ死んでいくのか。
一方、この記事でも触れられている
「死ぬものだけが存在している」という感覚は、私も感ずるところです。
極端に言いますが、ずっとこれを問いながら、ヒトは歴史を重ねてきたのだと思います。
表現や受け入れ方は違えども、ヒトは心の深淵で
「いつか、この世界からいなくなる」
その不文律を抱えながら、喜怒哀楽を経験し、そして逝く。
「死ぬものだけが存在している」という感覚。
生物の生存戦略上の帰結という観点もありますが、
シンプルに死が無いと生もありません。
例えば、光も暗闇があってこそ。
直接的ではないですが、大学の講義の雑談で私はよく「死」を学生に問うことがあります。
どこまで、感じてくれているかわかりませんが、「我々はいずれ、逝く」
ということを、わざわざ講義で話す教員ってあまりいないのかもしれません。
そういう意味では、私は相当変わった教員なのでしょう(笑)。
ただ、若いころから、そのことを問うたり、
眠れない日々を何とか潜り抜けたり、
そして向き合ったり、は大事ですよ。
さて、近々、久々に遠出の出張です。