"新型コロナ禍"のこれまでを反芻していたのですが、
「民主主義」の意義についても、考えさせられる時間でした。
民主主義。
子供のころからよく言われるのは、「多数欠」ってやつですよね。
投票して数が多いものを、選択をする。
これって本当にどうなんでしょう。
世の中の正しいことや真実を見抜いているのが
少数派であったら、このシステムは全くを意味をなさない。
この世界を揺さぶってきたお金至上主義。
お金を軸にした、貧困と富裕層の台頭。
お金至上やから、利権も生まれる。
戦争も生まれ、武器商人が暗躍する。
お金を生むために戦争をする。
現在、日本では水道や電気などのインフラ整備は担保されています。
私もこのブログをネット環境のある中で、書いているわけですが、
お金もそのぐらいに、皆に共有されるものであったはいけないのだろうか。
お金は誰もが持っているもの。そこから生まれる、差別や利権、戦争に蓋をできないのだろうか。
お金は皆持つべきもの。
その皆が持つお金を、どう使おうか。
その発想の方が、健全な気がするように感じてしまう。
新型コロナ禍の話に戻すと、
いつのまに日本は、世界は医学市場主義になってしまったのだろう。
本ブログでも触れましたが、1949年にノーベル賞も受賞したロボロミー技術。
脳の前頭葉を切り裂くこの技術の弊害は後に知られる通りですが、
そもそも医学が第一という機運はどのように生まれたのでしょうか。
またそれが利権や、お金の話にも繋がるのかもしれません。
医学の骨子は「赤ひげ」のようなものでなかったのか。
この新型コロナ禍において、なぜ他分野の領域、
哲学、人文学など、それぞれが声を挙げて、この異様な状況に
声を挙げられなかったのか。
自戒も込めて、こんなことを考えていました。
さて、明日はセミナーに関する打ち合わせです。
世の中は、時間は何も待ってくれず、先を行きます。