さて、新型コロナの流行に伴い、
どうやら全国的にオンデマンド式の講義になるだろう
という予測が3-4月には立てられていたあの頃。
その当時から私が想っていたことは、
対面式の講義以上に、オンデマンド式は教員、学生双方の
人間性が浮き彫りになるのではないかと思っていました。
オンデマンド式というものが対面式のものと異なるのは、
顔が見えない、というだけのことではないんですよね。
例えばZoomで顔を見ながら講義したら、いわゆる教室での対面式の
講義と同じなのかということ、それはやはり違う。
ミュージシャンのライブをライブDVDで見るのと、
やはり現場で参加するのとは違う。
講義に限らず、人間関係って
言葉、温度、質感、匂い、色、人生、感情・・・
その場の"全て"が融合してなりたっているはず。
一つが抜けることが、一つのパズルを削るってわけでなくて
一つが抜けることは、全く違った空間を生み出す。
オンデマンド式の講義は、教員-学生双方の人間性、
考え方が浮き彫りになると冒頭で述べました。
教員側からすると、対面式の講義の場合、教室の中で
学生も含めて講義を作り上げることになる。
言い過ぎかもしれませんが、ある意味"作品"に近い。
だって、発信者とそれを受ける側がいる。
演劇だって、ライブだってその関係性は存在する。
一方で、オンデマンドの場合、向き合うのはまず自分自身。
自分自身に問うて、自分自身を律しながら向き合うしかない。
オンデマンドが故に投げてしまえば、後はそれでいい。
そう思う方もいるかもしれない。
これは学生側も同じ。
対面式の講義で、出席した場合、
・やあ●●君
・ちょっと遅いぞ▼$さん
なんてシチュエーションがある。
オンデマンドの場合は、
ログインした時間等、数字でしか残らない。
その数字に齟齬が生じたとき、
始めて自分で動かないといけないが、
数字で引きずられた感情や、行動は
どうしたって、足元をすくわれる。
なぜならば、自分を律するのも、律しないのも
自分でしかないからだ。
昔は
・お天道様が見ているよ
と子供らに諭した。
そのお天道様の存在を、オンデマンドの数字を隠れ蓑に信じたとて
そうはいかんだろうに。
さて、遠隔講義も三週目。
お腹すいたなあ。
今日も幸せだ、俺は。