岡江久美子さんが亡くなられました。
志村けんさんが亡くなられた時もショックでしたが、
この時と感情が違っています。
志村さんは世代的にドリフ後期から志村けんのだいじょうぶだぁなど、
あのコアなゴールデンタイムに、TVを付けて、
そして笑わしてもらった、というそんなお方です。
ですので、どこか、幼い頃から、決まった時間に拝見する、
イベントのような場であったわけです。
テレビでも仰っている方がいましたが、
どこかでひょっこり、ゴールデンタイムに出てきそうな、
そんな感覚で志村さんの死を感じていました。
一方で、岡江さんは違っていて。
宮崎大学に着任する前は、東京の企業の研究所で働いていました。
もう9年以上前です。
あの頃は息子チビ太郎もまだ生まれていなかったので、
夫婦二人でマンション暮らし。
出勤前の朝の番組で、岡江さんと薬丸さんをお見かけするという
ようは、生活のルーチンの中に、いらっしゃったという感覚なんです。
そんなこともあり、有名人であるのは確かなのですが、
私たちの生活の一ラインにいらっしゃったという感覚が強いので、
志村さんの時の衝撃、いや衝撃というよりは、実感のこもった悲しみ
というのが本当のところです。
このブログでも何度となく触れていますが、「人生」は多くの真理の中で特殊です。
その特殊な「人生」という中に我々は放りこまれた。
それを私は「物語」と思っていて、”人生”から離れた時、大いなる”旅”に戻っていくような感覚です。
この”物語”と”旅”は直接触れることはないんですよね。
ただ、どこかでつながってはいるはずなんです。
岡江さんも、早すぎたかもしれませんが、この物語から離れられた。
そう思いながら、志村さんとは違った悲しみを感じながら、今日も自宅待機で
スタッフも学生も、誰もいない大学出勤です。
皆さん、良い一日を。
一昨日、これまで見たこともない、美しい一筋のひこうき雲が、自宅空を流れていました。