クルーズ船の新型コロナウイルスの集団感染の件以来、
神戸大の感染症専門医の岩田教授が定期的にコメントを
発信していらっしゃるのですが、先日も神戸新聞のインタビューに答えられていました。
その中で収束の見通しについて意見を求められ、
その回答は
「分からない。終息すればいいなあ、ぐらいの漠然とした希望しかない」
と。
続いて、
「特効薬が開発されても、流行を遮断できる保証はない。
ウイルスとともに生きていくしかないというシナリオも準備しておかない」
と。
本ブログでも触れましたが、私もそう思うんですよね。
爆発的な患者の増加が収束したあとも、天然痘のように撲滅できるとは限らない。
既存のインフルエンザのように、定期的に発生するもの。
目に見えない隣人のように存在するもの。
岩田先生がおっしゃる、ともに生きていくしかない、と同じ感覚です。
こればっかりはわからない。
アメリカや中国が世界最速のワクチン開発を競っているようですが、
英知を結集しても、出来ることと、受け入れることと、いろいろあるでしょうね。
私は大学に出勤する平日は毎日神社にお祈りに通っています。
理由はいろいろですが、お参りの際に
「今日も健康でいられたこと、感謝いたします」
と祈ります。
もう3,4年かな。
続けているこのお祈りも、当初はどこかルーチン的なところもありました。
ただ2年目を過ぎたころから、心の底からそう思うようになってきました。
それは環境や世界情勢からそう感じるようになったのか、
お祈りを継続したことによる心の変化か分かりませんが、
とにかく、本当にそう思っています。
水道の蛇口をひねれば水が出る。
ガス栓を開けば炎が出ます。
テレビのスイッチをつければ、いつでもニュースやバラエティー番組がみられる。
夜でも明りがつくので、読書もできる。
この恩恵を享受していることが、実はとても長い積み重ねの中、
綱渡りで歩んでいることも理解できるようになりました。
本日のお昼ご飯は、妻が作ってくれた鮭おにぎり。
この一個のおにぎりを、大学での仕事の合間に美味しく頂けることにも、
感謝
です。