コロナウイルスに関する報道で翻弄されている感があります。
本日は当研究室で博士課程進学を希望しているアフリカの方とWeb面談しました。
私はもともと大学での研究をするにあたって、
・留学生を受け入れる
というのは、核になるだろうと決めていました。
それは、私自身が経験したことを日本人学生にも、という想いも無くはないです。
また、異国の地で助けてもらった恩返しの気持ち、というのもないわけではない。
ただ、それ以上の何かがあるのは確かです。
私は右も左も「グローバル化」という、言葉は好きではありません。
ただ、そんなことを標榜しなくても、そうなんだ、という感覚は
今の大学に転職を決めたころから漠然とありました。
そうそう、アフリカの方とWeb上ではありますが、初めて顔を突き合わせて話をしました。
ずーっとメールを通して会話してきたのですが、やはり話せてよかったですね。
定期的に私には
・ドクター生として受け入れてほしい
・ポスドクでやとってほしい
というオーダーが海外からあります。
その中でも申し訳ないですが、受け入れられないことが多く断るケースも多々あります。
理由は様々です。
そんな中で、今回面談した彼女は、なんやかんやでずーっと、日本での留学について
お互いに模索している。
なんでだろう。
こればっかりは、なかなか明確に答えられないのですが
インスピレーションってのもある。
メールでの文章ベースとはいえ、多少掬い取れるものもある。
そして、本日のように直接顔を突き合わせて話す。
なんのメリットはありませんが、なんとか留学への糸口を
こじ開けてあげたいと思っています。
そんなことでコロナウイルスの話に戻ります。
アフリカでの感染報告は殆どなされていないので、日本に渡航することのリスクはあまり感じられないのかもしれません。
といいながら、イランでの感染報告があり、中東への波及の話が出ています。
一方で、韓国に引き続き、イタリアでの感染者の急増。
陸続きにフランス、ポルトガルと少なからず感染者の情報が出ている中で、
海を渡れば、アフリカ大陸です。
対岸の火、とはよくいったものです。
やはり、戦争を含む人災や天災も含めて、
そのことよりも、浮き彫りになるものが多すぎる。
そうなんだ。
いつの時代も、この浮彫が、もともとの発端よりも
深く、重い。
過去形で語る教訓は、時計が奏でる時間に乗って、現在(いま)となり
そして、未来の私が、過去を憂える。
全てはその繰り返しなんだろうか。