白と黒。
男と女。
陰と陽。
朝と夜。
対比の言葉って、印象的に使われますよね。
分かりやすいというのもありますが、世の中の動きの中でとてもしっくりくるし、
もっとも怪しいものでもある。
正義と悪、とかね。
あとは戦争と平和。
この対義語はそうではないと私は思っていますが、
トルストイの書籍しかり、古から戦争は、平和を破壊してしまう
根源であったという認識なんだろうなぁ。
夜。
これって独特ですよね。
特に子供たちにとって、昼間のガンガンの日光の中、汗をかいて遊んで、
夜は静寂が訪れる、この感覚。
東京時代は、夜中でも暴走族なり、あとは救急車のサイレンなど、
時間は抜きにした"時間"が流れていましたが、
私の人生の中で夜は静寂との対峙が多かったと思います。
例えば。
幼いころ、私は風邪をひいたり、よく熱を出していました。
熱のせいだったり、小学校を休んでしまったあの頃特有の興奮もあって
夜はなかなか寝れなかったことも多かったですね。
その時は夜の静寂との対峙です。
長い時間。
オレンジ色の豆球が、薄暗く天井の木材の模様やシミを照らし出し、
自分が世界の果てにおいてけぼりになったような感覚がありました。
北欧の白夜のような国で過ごす方は、どうなんでしょう。
以前、フィンランドを訪ねたとき、ああこの時間でこの薄明かり。
夜との対峙、感覚は違うんだろうなぁって想ったもんです。
日本では、古より夜は魔物巣窟とされていました。
日本書紀にもそのような感覚が記述されていたと聞いたことがあります。
新居に引っ越した後も、夜は静寂との対峙です。
光がなく、音もない夜の静寂は、静寂の音がするのです。
この感覚わかる人にはわかりますよね。
音がない真夜中の静寂が音を発するのです。
そのことが、夜に対する畏敬を生んだんだろうなぁ。
恐らく千年前の日本人も同じ感覚を持っていたと思います。
そう思うと、歴史と時間の感覚が、数字では語られないものに変わってくる気がして、
特別な想いになります。
GWも後半だとか。
今年は、私はギプス生活。
GWって感覚はないですが、
より夜と向かい合えそうです。
我が家の吹き抜けのリビングからは、タイミングがあえば満月があやしく光っていたりします。