先日のニュースで、中東イエメンで空爆があったというニュースがありました。
これもアラブの春以降続いている、ごたごたが継続しているんだろうと
素人ながらにも記事を読んでいました。
戦争につきものなのは、武力戦そのもの
そして情報戦。
このような報道があるたび、自分自身いやになりますが、
どこかで情報のフィルターがかかっているだろうと、見ています。
古今東西、終わったことに対して。
特に国と国の利害が入った情報、特に戦争が絡むと、
本当に表に出てくることって、どのように自分自身で咀嚼すべきかって、悩んでしまいます。
ただ、このイエメンでの記事。
結婚式の晴れ舞台で、有志連合が空爆をそこに行ってしまったって話。
こんな話は本当に私が生まれてから、ネットニュースで確認できるようになってから
ごまんとあります。
フィルターってなんだろう。
一度、そこをそぎ落としたい。
いろいろな利害はいい。
ただ、映像で見た、空爆で死亡した父親にしがみつく幼い男の子の
それを見ると、利害はなくていい、フィルターなしでみたい。
と思ってしまうのです。
ワタシも親のはしくれです。
あの亡骸になった父親が私、そしてしがみついて泣き叫ぶ男の子がチビ太郎であると
一瞬でも思ってしまうのは、避けられません。
でも、そのことが多くの危険性もはらんでいることも知っています。
このように諸外国で起こっていることは、正直自分とは関わりのないところで起こっている、
そう思う人は多いでしょう。
ただ人の繋がりだったりとか、このようなイエメンでの話をどう思うかって時に、
想像力って大事なんだろう、って思うんだ。
研究もそう。
そして、大学で教える教養ってなんだろうって。
それは、知ることから始めって
そして、皆が持っている想像力につなげていく。
教養は知ることだ、とこのブログで発信していますが、
その先のヒントは、想像力につなげること
って最近思っているんです。
私自身手探りですが、そういう想いが最近強い。
来月は、全学での教養の講義があります。
そういう想いで、取り組もうって思っています。