英語もそうなのですが、外国語を勉強するときの入り口として、

音楽、うたの歌詞を利用される方は多いかと思います。

 

むしろJ-POPが好きなので、なんとかして歌詞を理解したいといって

日本語をどんどんマスターしていくって方もいますよね。

これは入り方が違いますが。

音楽が目的そのものになっています。

 

2001年から1年半ほど韓国に留学していました。

ワタシも、韓国語の勉強に取り組んでいたとき、

韓国の歌の歌詞でもって、韓国語の勉強をしていました。

もちろんそれだけではないですが、ひとつのツールとしては

とてもいいと思います。

 

 

私は音楽が好きですね。

ただ韓国語を勉強したときに、上述の例のように韓国の歌が好きだから、

なんとかしてマスターしたい、理解したいってのとは違うんですよね。

微妙なところでもって、歌を外国語の理解に使っていたような記憶もあります。

 

ただ、歌は国やもしくはその言語など、言語学的な言葉を超えた何かを発信しているのは確かでしょう。

だから私は音楽が好きなのかもしれません。

 

"元"もふくめて、漢字圏の外国語を学ぶときに、

自分の言語の母体として、漢字を有していることは圧倒的に有利です。

 

例えば、「国家」という言葉があります。

これを、韓国語では「국가 」といいますが、韓国も以前は漢字を使っていました。

そのため、국は国、가 は家、といったように多くのハングル文字が、漢字一文字対応しているのです。

中国語の場合、繁体語など異なる形式の漢字を使うこともありますが、予測がつきますし、全く同じものもあります。

 

 

英語の言語としての祖先はゲルマン祖語といわれており、ドイツ語やオランダ語なども確かコレに当たります。

さらにその祖先を辿ると、ヨーロッパの各言語も共通の祖先をもっています。

言語学が専門でないので、間違っていたら申し訳ないですが、ゲルマン民族とか、アングロサクソン民族など、

民族の歴史と言語の流れは、共有しているのでしょう。

 

ただ、例えば、どのルーツとも異なり、独自の言語を構築していったような場合。

 

まだ読んでいないのですが、

亡びゆく言語を話す最後の人々(K.デイヴィッド・ハリソン著 原書房)

といった書籍があります。

 

このような独自の言語は、生物多様性の問題や、ガラパゴス諸島のように

一度切れると辿れない宿命をもっているのかもしれません。