今日は宮崎は高岡の湯之谷温泉に、家族で行ってまいりました。

以前本ブログでも、紹介させてもらいましたね。

 

相変わらずの良いお湯でしたが、お昼過ぎだったためか、

お客は誰もおらず、男湯は私とチビ太郎の、女湯は妻の貸し切り状態でした。

 

のんびりとお風呂を堪能したところ、

私とチビ、そして妻と同じタイミングで出ます。

島津の時代からの歴史ある温泉だそうですので、

いわゆる昔ながらの銭湯と同様、声は筒抜けなので、

出るときに声をかけあうんです。

昭和を地でいっている、そんな感じです。

 

 

すると、隣の女湯ににお客さんが来たようです。

 

客「お隣のお子さん?何歳」

 

妻「三歳です」

 

客「いちばーん手のかかる頃ね」

 

後で妻に訊いたところ、そのお客は70代前後の女性だったそうですが、

 

客「うちの息子は小学校の頃、川に流されて死んでしもうたんよ」

 

 

 

客「なんで、泳げもせんのに川なんていくかいな~、あの子も・・・」

 

 

 

そのお客は妻をみて、

 

客「子供は何があるかわからんから、大切に育ててあげてね」

 

 

年齢から考えると30-40年前のことでしょう。

もう気持ちも整理できている年月かもしれません。

それでも、チビ太郎を育てている私としては、

その長い年月が彼女にとってどんな意味を持つか、

まだ体験できません。

 

温泉の周りにもきれいな川が流れています。

この辺りの川で、その息子さんは流されてしまったのでしょうか。

 

30-40年、悠久の時間というと大げさですし、

かといって最近というには流れた時間。

 

湯之谷温泉の周りには、静かな時間が流れています。

何十年も同じ時を刻んできたでしょう。

でも、ある日そのようなことがあった。

 

それでもこの周りの自然や人々の生活は、

同じ顔をして、流れていくんだろうなぁ。

 

 

 

 

ふと山間を見上げると、梅がもう咲いていました。

 

その様子をみた温泉の主人の方が、

「あのポイントだけよく陽が当たるんだよね~」

 

「だからあそこだけ、いつも先に咲くんだよ」、と。

 

 

植物は正直です。

太陽の恩恵を受けて、きちんと反応します。

 

桃栗三年柿八年。

種をまいてから花が咲くまで、時間がかかるものです。

 

春には桜も満開になるそうです。

 

 

大切なことはめんどくさい。

仕事も、研究、子育ても、そして人生も、

ですな。