【エゴ(EGO)/自我】
- 自我 - 英語でego のこと。自己を対象とする認識作用、哲学および精神分析学における概念。 (Wikipediaより。)
じ‐が【自我】
1 自分。自己。
2 哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我。
3
㋐心理学で、行動や意識の主体。自我意識。
㋑精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。エゴ。(コトバンク/デジタル大辞泉より)
エゴとは偽りの自己であり、心理学では「仮面」と呼び、
社会学者は「条件付け」、代替療法のセラピストは「あなたのパターン」と呼び、
ユダヤの言語では「気まぐれ」と言います。
エゴは過去からのパターン。
過去の記憶で作られた上辺の自分。
それは<思い込み>で作られていて、ほとんど気付かず同化して生きています。
自己防衛的で、人を、自分を誤魔化す人格です。
ほとんどの人がパターンの自分で生き、自分の魂と言える本質ではなく、
その偽りの自分を自分自身だと信じて生きています。
自分への、他者や社会への誤った認識の中で生きています。
エゴは思考であり、過去の記憶の蓄積、
親や環境、人間関係から、幼少期から植えつけられ、教え込まれたた自己認識、考え。
思考パターン、行動パターンであり、それは潜在意識にも関係します。
エゴは自分の生存の為に、自分を守る為であるなら、
偽りの恐怖心/不安を呼び起こし、利用して、前に進むことを止めに掛かるでしょう。
進化することを止めにかかるという事。
それは未知への恐怖であり、自分自身に責任を負うというプレッシャーです。
未知の領域/知らない、体験したことのない世界は、自分の生命を脅かすかもしれない。
それは傷になり、新たな痛みを生むかもしれない。
エゴはその危機から、自分を守っています。
その思い込みはほとんどが、自分の不快な経験に基づいて作られているため、
恐れに基づいて判断しています。
エゴには、私たちの問題を解決することは出来ません。
なぜなら、エゴとは、そもそも、私たちの問題そのものだからです。
(by からだの声を聞きないさい。リズ・ブルボー)
或いは、過去の怒りであり哀しみ、傷、心の痛みから作られているものです。
エゴがあなたの人生を支配し始めると、あなたはもはや自分自身ではなくなってしまいます。
ネガティブな感情に囚われている時、人生が難しく感じられる時、
居心地が悪くて仕方がない時、あなたはエゴに支配権を譲り渡しています。
ハートではなく、思考/エゴで生きています。
恐怖から、愛されることから離れようとする人もいるでしょう。
或いは自分は愛されるに値しないと思っているでしょう。
その理由には多くのものがありますが、それらはいずれも良いものではないでしょう。
何故か、私たちは自分自身を愛されないようにすると決め、愛が現れると典型的な放蕩や、
混乱を演じ、孤独へと走ろうとします。
それは、無意識のエゴのなせることでしょう。
記憶にはなくても残っている、
潜在的な罪悪感や、自己価値のなさという思い込みもあるのでしょう。
それらは思い込みであり、
例えば痛い!と思った感情も、エゴであり、私たちの本質が痛みを負ったわけでは、
本当はないのです。
そうした思い込みからなるエゴは、いつでも私たちをコントロールしたいのです。
そして、エゴは大抵、自分に起こることを{人のせい}にしています。
{人のせい}にしていれば、そこから成長する必要もなく、
自分に責任を負わなくて済むからです。
無理に許す必要はない。
けれど、許す・許さないという事と、{人のせい}はまた、違うのです。
*
また、忘れてはいけないこと。
エゴは偽りの自己と呼ばれるものだけれども、
人はエゴがなければ生きられない面もある。
その側面もまた、自分の中にあるものだと認め、
癒す必要のあるものは癒し。
手放す、切る必要のあるものは切り
自分の中をクリアにしていくこと。
そして時に、エゴの要求を満たすことも必要です。