この人生も、山を上る時と同じように、

平坦な道もあれば岩だらけで、両手を使わなければ登れないものもあれば、

どうしたって進むことが出来ず、遠回りをする必要も出てくる。

下手をすれば転がり落ちることもある。

 

時々休みながら、歩く歩幅に息を合わせながら、

その自然に身を委ねるように、時に目をつぶり、辺りを感じてみることや、

自分が何処に立っているのかと確認しながら…

 

そしてすれ違う人と声を掛け合い、励まし合いながら、

時に、荷物を持ってくれる人、

逆に、荷物を持つこともあるのだろう、

 

そうしたことを重ねながら山頂を目指している。

 

 

 

そして、ある氏曰く、

 

『人生とは、

岩があったり平坦だったりを<見えながら>四苦八苦してるのではなく、

<見えていない>ことで岩にぶつかったり転がり落ちたりしているんじゃないか、と。

 

障害物がある時、その進み方のHowToよりも、

まずは目の前が見えるようになること。

 

そして、目の前の岩の<見え方(捉え方)>が試されるのではないかと。

 

それが障害と映るか挑戦と映るかは見え方次第。

 

人生は見えない分、つい恐れや不安を抱いてしまうが、

この世の見え方も明晰な開眼次第、だと。。。』

 

 

目の前が見えるようになること。

 

本当はそこで、何が起きているのか。

本当は何も起きていないのかもしれない。

 

問題と思っていたものは本当にはなく、

ただ、自分の捉え方と考え方だけが、現実を作っている。

 

明晰な開眼、とは・・・

 

『目を覚ましなさい』

 

ということでもあるのかもしれない。

 

 

 

<分かったつもり>を増やさず、

 

<分かっていない>ことを掘り下げる。

 

自分を疑うことを忘れてはいけない。

 

 

けれども、

 

その上で、この人生を自由に楽しむのは、私の自由だ―――