自分の中で解決していない{問題}や{わだかまり}、{しこり}。

 
目を背ければ一時的には逃げられますが、内面のそれらは何度でも、まるで『今度こそ乗り越えなさい』と言われているように、人を変え立場を変え時を変えてやってきます。その時は気付かなくても。
 
それは気付きなさい、でもあり、気付いて!という自分の心の声が起こすことでもあります。
 
 
 
いつまで、自分の中の投影に気付かず、『誰かのせい』を続けますか? 
 
 
一つの問題に対して苛立つ時、見るべきは相手ではなく、苛立つ自分の反応の、その原因です。
 
 
 
 
あの人が私を苛立たせるのではありません。
 
何故、私はあの人に対して苛立つのだろう。
 
私を苛立たせる、その反応は、私の中の何処に、何にあるのだろう。
 
私の何が、その反応を起こすのだろう。
 
 
 
そこなのです。
 
 
『誰かのせい』でいる限り、本当に見なくてはいけないものは見れません。
 
 
あの人が○○だから苛立つ、は原因ではありません。
 
 
何故苛立つのか。その本当の理由を見ていって下さい。
 
 
辿っていけば、そこには、過去に満たされなかった自分がいるかもしれません。 


満たされなかった自分の思いがあるかもしれません。
 


或いはそれは、自分が特別になりたかったという気持ちかもしれない。



それは、何処から始まって、何処に、その自分を置いてきてしまっているのだろう。



 
辿って行った先で、
満たされなかった自分をもし見つけたならば、
 
 
 
どうか、どんなに認めたくなくても、その自分をまずは感じてあげてください。
 
その子から目を背けず、認めて、その感情を感じてあげてください。
 
 
 
あるいは、自分を守る感情が強すぎる為に、
無意識に辿ることが出来ないこともあります。
 
 
その時は、今は無理に辿ろうとしなくて大丈夫です。忘れるくらいで大丈夫です。
 
 
 
 
答えは、ふとした時にやってきます。