今日は、許可をいただいたので、
あるお話を添付させていただきます。

 

まずはじめに、
「いまもっているもので、
これを失ったら、
この人を失ったら、

わたしはドン底まで
嘆き悲しむだろうというものを
3つあげてください」

 

3つあげましたか?

その3つがいま、「ある」でしょう?

足りないところを見たら
3秒で不幸。
しかし、足りてるところを見たら
3秒で幸せ。

 

 

ある小学生の作文を読んで下さい。

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「ぼくがいるよ」

お母さんが帰ってくる!
一ヶ月近く
入院生活を送っていたお母さんが
戻ってくる。

お母さんが退院する日、
ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、
寄り道もしないで
いちもくさんに帰宅した。

久しぶりに会うお母さんと
たくさん話がしたかった。
話したいことはたくさんあるんだ。
帰宅すると、
台所から香ばしいにおいがしてきた。
ぼくの大好きなホットケーキの
はちみつがけだ。

台所にはお母さんが立っていた。
少しやせたようだけど、
思っていたよりも元気そうで
ぼくはとりあえず安心した。

「おかえり」

いつものお母さんの声が
その日だけは特別に聞こえた。

そして、はちみつがたっぷりかかった
ホットケーキがとてもおいしかった。

お母さんが入院する前と
同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。

お母さんの様子が
以前とちがうことに気が付いたのは
それから数日経ってからのことだ。

みそ汁の味が急にこくなったり、
そうではなかったりしたので、
ぼくは何気なく
「なんだか最近、みそ汁の味がヘン。」
と言ってしまった。

すると、お母さんは
とても困った顔をした。

「実はね、手術をしてから
味と匂いが全くないの。
だから、料理の味付けが
てきとうになっちゃって・・・」

お母さんは深いため息をついた。

そう言われてみると
最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。
作るおかずも
特別な味付けが必要ないものばかりだ。

しだいにお母さんの手作りの料理が
姿を消していった。
かわりに近くのスーパーのお惣菜が
食卓に並ぶようになった。

そんな状況を見て
ぼくは一つの提案を思いついた。

ぼくは料理が出来ないけれど
お母さんの味は覚えている。
だから、料理はお母さんがして
味付けはぼくがする。
共同で料理を作ることを思いついた。

「ぼくが味付けをするから、
一緒に料理を作ろうよ。」

ぼくからの提案に
お母さんは少しおどろいていたけど、
すぐに賛成してくれた。
「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」
お母さんが言った。

ぶりの照り焼きは家族の好物だ。
フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。
その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。
そこまではお母さんの仕事。

タレを煮詰めて
家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。
だいぶ照りが出てきたところで
タレの味を確かめる。

「いつもの味だ。」

ぼくがそう言うと
久しぶりにお母さんに笑顔が戻った。

その日からお母さんとぼくの
共同作業が始まった。
お父さんも時々加わった。

ぼくは朝、一時間早起きをして
一緒に食事を作るようになった。
お母さんは家族をあまり頼りにしないで
一人でなんでもやってしまう。

でもね、お母さん、ぼくがいるよ。
ぼくはお母さんが思っているよりも
ずっとしっかりしている。
だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。

ぼくがいるよ。

いつか、
お母さんの病気が治ることを祈りながら心の中でそうくり返した。

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お母さんの手料理がなくなったならば、
「ぼくが味付けをするから、
一緒に料理を作ろうよ」


小学生のこの精神を見習いたい。

 

ないときは、「ない」を嘆くのではなく、
あなたの「愛」を出すとき。

 

何もかも無くなっても大丈夫だよ。

だって、あなたの愛が「ある」でしょう?
尽きることのないあなたの愛が。