五月1日母は向こうの世界に旅立っていった。

 

入院からあっという間だった。

 

その日の前日、その前もか?、そして当日。

 

当日は朝から弟より母の急変と連絡あり。

 

タクシーを飛ばして病院まで駆け付けた。

 

その日は道路が激込みでタクシーの運転手さんが知っていた限りの裏道を通って。

 

母の病室につくと、既に呼吸が変わっていた。

 

いわゆる自然喘鳴とよばれるものなのだろうか?

 

これが苦しくないものであることはわかっている。

 

そばにいて話しかけた。

 

良き思い出の感謝を。

 

そして旅立つ先で再開する人によろしく、と。

 

初めは、モニターの数値もあんていしていたので、弟たちはわりにすぐに帰ったが

 

あと、1時間いようと思ってモニターを見ていたら、

 

脈拍低下、明らかな下顎呼吸、そして呼吸数も少なくなっていった。

 

弟にline、でも、その十分過ぎすべての数値がゼロになった。

 

母とはいろいろあったが、最後数年和解で着て看取れたことは

 

私にとって大きな贈り物だった。

 

ありがとう。もうあなたのことを恨むことはないだろう。

 

楽しかったこと、そんな思い出をかき集めている。