2023年 留学16日目
珞珈山と東湖をみる
朝ごはん:パン
昼ごはん:学食(10元)
夜ごはん:学食(10元)
今日も何とか授業に追いつき、昼ごはんにバイキング学食を食べ、寮で復習して、Youtube観ちゃって(
さて、山の中を散歩してると、ポツポツとおしゃれな建物が建っているのに気づいた。あとで知ったのだが、これは通称「十八栋」(模型↓)という、1930年より建築した大学早期の建物だった。かつて大学教職員の住居として使われていたらしい。
(武漢大学HP「走进珞珈山之三:十八栋 珞珈山上的仙山楼阁」ページを参照(2024年9月14日閲覧))
建物前に行くと、以下↓のように紹介パネルが設置されていて、かつての居住者を伺い知ることができる。
(↓8棟 (建物ごとに番号付けされている))
(↓16棟)
また、「抗日戦争」のため武漢が臨時首都・抗日の中心地となった時期には、国共(国民党と共産党)の政府要員が十八栋に住んだという(百度百科(中国のwebサイト)「珞珈山」ページ参照)。
「抗日戦争」とは、1931年9月18日の日本軍の侵略・占領~1937年7月7日の盧溝橋事件以降の全面侵華戦争~日本敗戦までの戦争を指す(百度百科「抗日战争」ページ参照)。日本だと、日中戦争(盧溝橋事件~になるが)にあたるのかな。
(↓19棟)
この19棟には、1938年5月から9月まで、周恩来が住んでいたそうだ。
ちなみに、1938年6月~10月、武漢で、侵攻してきた日本軍と戦争(武汉会战)、同年10月25日、日本軍は武漢を占領した。(百度百科「武汉会战」ページ参照)
19棟の中は見学可能になっていた。パネルで十八栋の歴史や抗日戦争、周恩来のことなどを紹介していた。
留学16日目の時点では、パネルの説明文を読んでも、何を言っているのか、さっぱりチンプンカンプンだった。なんせ、武漢にかつて日本人がやってきて戦争をしていたこと、かつ武漢が日本に占領されていたこと、全てを全くもって知らなかったので。「なんで周恩来の旧宅で、抗日の歴史を紹介するんだ??」って感じだった。
(とはいえ、現在も正直、中国の近現代史を理解できていない。今回も、自分の言葉で説明できないから、ネットの情報ではあるが、参照させてもらった。…なので、間違っていること書いてたらごめんなさい。でも、認識違いは、間違いになるのでしょうか? よく分からない。難しい。
あと、戦争を経験してない人に戦争を語る資格はありますか? 戦争って、実際経験してない人がさも理解してるように話していいような、軽い話題じゃないと思う。「知らないお前に分かる訳ないよっ」って思われているんじゃないかな、なんて。はぁ。分からない。むなしい。難しい。
この話終わろ。)
話題を留学16日目の記録に戻す。
山を一周散歩して、とても気分が良くなった。案外30分もかからず一周できた。
山を下りたあと、
大学の真隣は、通路をはさんで湖だった。近くに水がある。それだけで、
その足でまた学食に行き、夜ごはんを食べて寮に帰った。19時。