
叔父は絵描き以外の仕事をしなかった人で、10年前の2003年7月7日に2度目の胃ガンで亡くなりました。
叔父の最期の言葉は「知美、肩痛い、さすってくれ」だったと彼が息を引き取った30分後に叔母から聞きました。
亡くなって10年になりますが、未だに「生きていてくれたら良かったのに・・・」と思います。
叔父が亡くなる一年ぐらい前から私は毎月パソコン仕事のお手伝いに叔父の家に通っていました。
胃ガン再発後、叔父夫婦と私の3人で、スペインに旅行に行きました。(叔父は取材旅行でした)
私が『色』を意識したのは彼の絵の影響かもしれないです。
たくさんの色を使っても鮮やかさの失われない、優しくて大きな絵で、優しいエネルギーの詰まったあったかい絵でした。
芸術のセンスなどまったくない私ですが、叔父の絵は大好きでした。
今回【虹色カレンダー】の絵をのりちゃんに描いてもらうにあたって、私が彼女に求めたのは2つだけでした。
キャンバスを縦で描くなら全部縦で描いてほしいということ。
そして、水彩画と黒のペンラインの融合で描いてほしいということ。
私の中で、叔父の描く絵の黒く細いラインが大好きだったのです。
叔父は2000年11月から2002年2月まで、朝日新聞の奈良版で『絵かきのそぞろ歩き』というタイトルで絵と文を連載していました。
連載最初はモノクロでしたが、読者の要望で途中からカラーでの掲載になりました。
今気付いたのですが、私、10年後の今、叔父と同じスタイルで【虹色カレンダー】を作っていたみたいです。(彼は文も絵も自作でしたが)
叔父はパーソナルカラー(似合う色)を学んだ私に
「知美、コーディネーターは何も産み出さへんぞ。」と言いました。
「でも、おいちゃんも協力できることはあるかもしれん。」とも言ってくれていました。
私と私の弟の事を、自分の子供のように思っていてくれていた彼は、私の事を心配してくれていたのですね。
幸右エ門のおじちゃん。
私、色で、私なりの表現方法を見つけたよ。
おじちゃんのように、一人で表現は出来ないけど、でもこれが私らしい表現かなって思ってる。
おじちゃん、10年かかったけど、私、見つけたよ。
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