議論にならない議論 | ラヴログ

議論にならない議論

すみませんが前言撤回です。

申し訳ありません。

今後一切かかわらないと決めましたが、取り消します。
自分への反論かわかりませんが、それに応じることにします。



こうしてGDPが増えたところで、韓国の庶民生活は楽になっているでしょうか??



GDPが増えても、庶民は楽にならない話らしいです。
何回も間違いを指摘しているのに、分からないようです。

ところで、

経済学的に正しい行動が、政治学的に正しい行動とは限りませんし、庶民の生活を良くするとも限りません。



経済学的に正しい行動はトータルの損得で考えることですからいいとしても、
政治学的に正しい行動って何でしょうか?

高増明氏「経済学者に騙されないための経済学入門」より
P8

(1)経済は政治と違い、個人の力で短期間に変えることは不可能である。
(2)経済学的に豊かになることは、「良いこと」である。
(3)経済学的行動は、(儲かるかどうかを基準にした)単純なものである。
(4)カネはナショナリズムとは無縁である。



ですが、
P9

政治的・思想的価値観というのは、正義、平等、民主的、自由などの定義することすらむずかしい概念がたくさんあります。



その定義すら難しい問題の善悪は誰が判断するのでしょうか?

スティグリッツ(IMF批判やグローバリズム批判をしている経済学者です)はテキストにこう書き記しております。
スティグリッツ入門経済学2版より

一般的にはどの政策も多くの結果をもたらし、部分的には有益であっても、部分的には有害であることがある。
二つの政策を比較して、一方がある人たちにより多くの利益を与え、他方が他の人たちに利益を与えたとすると、二つの政策のうちの一方が優れているということにはならない。



自分も庶民なので当然給与が減ることには反対ですが、では分配するために高所得者から徴収しましょうと政府から言われて、それが高所得者にとっても正しい政策でしょうか?高所得者はそれに反対するかもしれません。
実際アメリカの「99パーセント」のデモを受けて「53%」という主張も出ています。(自分はこの意見には賛同していません)

ウォール街デモの99%に異論、「53%」がネットで支持拡大
http://www.cnn.co.jp/usa/30004393.html

ところで、GDPの増加グラフの後に、所得減少のグラフを見せたり、格差が大きくなっていると主張していますが、何でGDPの増加と、所得減少を見ただけで、それが所得減少の原因かのように主張できるのでしょうか。
GDPが増える、所得が減るのを見て帰納して、その結論から前提であるGDPの増加が関係があると類推しているに過ぎません。

GDPを増やせば国民生活全体が豊かになる場合もあります


と言っている時点で、この帰納で導かれた命題、GDP増は給与が増えないということが成り立たないのです。

いや、そんなことは言っていないというなら、なぜ


アメリカではGDPを上げても所得が増えない



と発言しなければならないのでしょうか?
どこかにGDP批判(経済学批判)をしたいというのがあり、またそう思っているからではありませんか?
ですが、GDPの増が政策の失敗、所得が増えない理由と何の関係があるというのですか?
逆にGDPを減らせば給与が増えるのですか?

もしあるというなら是非、その(経路の)説明をしてください。

ちなみに、韓国の格差は雇用条件の変化、日本は高齢化という実証分析の報告もあります。
「韓国は“競争の激しい格差社会”というのは本当か
日本と韓国どちらの格差が大きいか検証してみる」日経ビジネスオンラインより
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110113/217917/?P=3

以前から指摘しているように、給与が増えないのは所得の分配に問題があるということで(政治の問題ということ。ただし、だから無関係といっているのではありません)、GDPが増えることに問題があるわけじゃないのです。
後述しますが、むしろ減らす方が問題になるのです。

ですから、その「GDPが増えても給与は増えない~」という前提(無自覚の?GDP批判)が間違えているから、そこから離れられずに何度も同じ結論になり、また同じ主張を繰り返すというループになっていることが分からないのでしょうか。

人の話を聞かない、読まない、わかろうとしない、つまりはGDPをちゃんと理解していないから、そういう結論になってしまうのです。



仮にGDPを、かなり強引ですが会社に例えてみます。

会社の付加価値(GDP)は、おおざっぱに雇用者所得、営業余剰、投資財の補填、税金の支払いなどに振り分けられます。
もっと簡単に、従業員の給与と、企業や経営者の利益に分けてみます。

好景気でこの会社の付加価値が増えました。(GDP増)従業員と経営者の給与はどうなりますか?

経営者の給与だけが増え、従業員の給与が増えないとしたら、それは売り上げが伸びたのが原因ですか?売り上げ増は意味がありませんか?
違いますね。
経営者がそういう風に分配を決定したからです。

逆に不況で売り上げ(GDP減)が減りました。
でも経営者の給与は変わらず、従業員は解雇されました。(あえてわかりやすいように極端な例えですが)

売り上げ(GDP)に意味が無いどころか、売り上げ(GDP)の減少でとんでもないことになってしましいました。
それでも売り上げを増やそうとするのは、意味がない事ですか?
しかも、それで給与が減るしたら、その原因は売り上げ増加なのでしょうか?
もちろん違います。

GDPは経済活動の結果なのですから、景気がいいときは増加して、不況には減少します。

景気のいいときと不況とではどちらを選択しますか?ということです。
GDPは仕事量(総生産)なので、GDP増=仕事が増えるということです。(ちなみにGDPが表すのは実体経済です)

GDPが増えても給与が少なくなるから、GDPを増やしても無意味なのでしょうか。
もちろん違います。

GDPの増加と給与の減少は別要因ということです。
むしろ減らしては問題があるということです。


飯田泰之氏「「ダメな議論」__論理思考で見抜く」より
P103

経済政策の基本命題のひとつにティンバーゲンの定理と呼ばれるものがあります。
これはごく単純に言うと、「Xコの政策目標を達成するにはXコの政策手段が必要である」という当たり前の主張です。
経済発展と所得格差の問題が別ものである以上、両者を同時に解決する政策は、通常存在しません。




これが、経済と政治の問題を切り分けましょうという意味です。
誰も、政治と経済は関係ないとは主張していませんと何度も書いています。

これでも、GDPが増えても所得が増えない(自分でも否定しているのに)ということが真だと主張するのですか?

実際の政治の場において経済学『だけ』を見て語るのは意味のない行動だと私は思っております。



当たり前です。

また書いていないことを否定して、反論しています。
議論を摩り替えて、反論した気になっているだけです。


前後しますが

経済学を否定するつもりはさらさらありません。
先生方が色々な経験と実証を元に、モデルの通りになれば間違いなく経済は潤い、国民生活が豊かになる計算式を組み立ててくれているのでしょう。



これも間違った認識です。
経済学者たちはそのように考えてなどいません。
この発言は経済学を理解していないことのなによりの証拠です。
また否定していないと言いながら、結局は批判しているの同じです。

経済学者の認識は180度違います。

野口旭氏「ゼロから学ぶ経済学」より
P4

現実の経済は、きわめて膨大で複雑です。
それを、そのままのかたちで理解しようと思っても、まったく不可能です。



という前提で、

P30

われわれはいったい、このように途方もなく複雑な「経済」をどのように理解すればいいのでしょうか。そのカギは「単純化」にあります。
実は、この「単純化」という思考作業は、単に経済の理解に関してだけではなく、物事を科学的に理解しようとする場合には常に必要なのです。
実際、「科学」とは、問題にとって本質的でない要素を排除した模型(モデル)を用いて、現実に規則的に生じている諸現象の背後に存在する因果関係あるいは相互依存関係をできるだけ単純な原理によって説明しようとする試みです。
そして経済学とは、そのような科学的な方法論用いて、「経済」という現象を理解しようとする学問体系です。



経済学を批判する人たちがよく取り上げる、現実的ではない、モデルや理論どおりにはならないというのがいかに意味の無い批判かが分かります。

なぜなら、そもそもの立脚点が批判内容と同質的なところにあるからです。


だいたい経済への理解が無くて、どうして正しい経済政策が取れるというのですか。
たとえば、全体には経済学的にいいと思われる政策があったとしても、それを理解したうえであえて反対の政策をとるにしても、その良否が区別できない状態で何を判断基準に政策を吟味するというのでしょう。



以上、再考願います。
政治のほうは価値観なので、好きなだけ語ってください。(決して無関係だからといっているのではありませんので、ご承知願います)

ただ、これ以上のループは勘弁してください。